MENU
おすすめの記事はこちら

十一日目 宮城-愛知

僕がまず驚いたことはまだこんなにも復興が進んでいないのかということだった。ガードレールは破壊されてひしゃげたままにされており、道路は土嚢と砂で造られたものがあった。トラックはあちらこちらでせわしく作業をしていて、家が半分倒壊した状態で放置されているのが一番悲しみを感じさせた。僕は何もできない無力感に襲われながらこんなところで旅をしていていいのかという気持ちになった。彼らにしてあげられることは何もないんじゃないか。僕はこのままここにいていいのだろうか。そんな思いが一気に押しよせてきて渦のように僕の頭を巡り続けた。答えが欲しかったが誰に聞こうにも誰も答えてはくれないし、あらゆる人は自分たちのことで精一杯なのだ。それに比べれば僕のこの問いなんて川辺に落ちている石ころのようだとさえ思った。

そんなことを頭の中で巡らせているうちに松島に着いた。松島海浜公園から見える先には一面が島で覆われた見事な風景が広がっていた。突堤につけられた船が波に揺られて岸にぶつかり、かこんかこんというしずかな音をあたりに響かせていた。海岸沿いの道路には土産物を売る店が軒を連ねていて、人々の行き交う姿であたりは賑わっていた。公園の入り口には「日本三景碑」と彫られた石碑が立ててあり、その近くには五大堂の入り口を示した旗が立ててあった。五大堂は公園の中にあり、そこまでは小さな架け橋を三つ渡って行くことができた。仏堂のある島からはすぐ近くの福浦島や遠くに見える桂島や寒風沢島が見えた。島々が連なる松島湾を眺めていると僕は美しさを感じる一方で、この海がすべてをのみこんでしまったのだという恐れを感じた。その風景は僕に自然の美しさと恐ろしさを同時に感じさせたのだ。僕はまた悲しみとも寂しさとも言えない空虚な気持ちにつつまれて、黙ってその風景をずっと眺めていた。

 

十一日目 宮城-愛知

フェリーの時間が近づいてきたので僕は仏堂の柵から手を離して島を眺めるのをやめた。いつまでもそんな風景を眺めているわけにはいかないのだ。三つある短い橋を渡ってから公園の向かいにあるお店まで歩いていき土産物をいくつか買った。買ったうちのひとつは「がんばろう、日本!」とかかれたタオルだった。なぜそんなものを買ったのかはわからない。でも東北にきて僕の心境が変わりつつあるのは確かだった。僕はそのタオルを大事にしまい、駐車場まで歩いていってTODAYに乗った。僕は仙台港へ戻ろうとしていた。

仙台港に着くとやることもなかったので、フェリーが出航する時間まで船内で必要になりそうなものをコンビニに買いに行った。僕が買ったのはいくつかのお菓子と最近新刊の出た漫画コミックとオレンジジュースと使い捨てアイマスクだった。お菓子はいくつかその場で開けて食べてしまい、買った数の半分にまでなってしまった。その中に「キャベツ太郎」が入っていてそれを食べたのはずいぶん久しぶりだったが、なかなか美味かった。僕は食べきったお菓子の袋を一気に両手でつかんでゴミ箱まで運び、それを捨てた。そして外にある水道で手を洗い、顔を洗った。コンビニの前にいた育ちのよさそうな制服を着た女の子が僕の方をちらりと見た。まともな人間は昼前からお菓子を三袋も食べ、外にある水道で顔を洗ったりはしない。僕はまず「わさビーフ」を食べ、「おっとっと」を食べ、「キャベツ太郎」を食べたのだ。お菓子の数はみるみるうちに減っていった。僕はよほど「カラムーチョ」も食べてやろう思ったが、少し考えてやめた。お腹いっぱいになるし、それに船内で食べるものがなくなってしまうからだ。

それから僕は立ち上がってフェリー乗り場まで行く前にまた「キャベツ太郎」を買って食べた。よほど懐かしかったのだろう。あれは中毒性がある。また水道で手を洗い、荷物を整理しているうちに時間は出航四十分前になり、僕は荷物を詰めて急いでフェリー乗り場へ向かった。船は仙台に別れを告げる暇もなく出航の合図を出して、港をはなれていった。僕はもう思い残すことはないと思った。二等の部屋に行き寝転がってアイマスクをつけると、やがてゆっくりと潮が満ちるように眠りがやってきた。

 

十二日目 愛知-大阪

目を覚ましたとき二等の部屋の中は真っ暗だった。時計の針は五時半を指していた。朝の五時半だ。僕が船に乗ったのは昨日の昼一時だ。となると、僕は十六時間もここで眠っていたことになる。そんなに寝たのか? こんなにも長い間一度も起きずに寝ていたのは人生で初めてだった。僕は体を起こし、なにもせずただ漠然とその場に座り込んでいた。意識がだんだん戻ってくると僕は極度に腹が減ってきた。それは暴力的と言ってもいいくらいの空腹感だった。眠っていたときはおそらく意識がなかったせいで空腹のことまでは気がつかなかったのだろう。でも今では腹の空白がはっきりと胃に感じられた。僕はまだ半分しか開いていない目を手の腹でこすって覚ましながら、船内にある食堂へ行こうと決心した。食堂はまだ開店していなくて前で三十分ほど待っていたが、バイキング形式で食べ放題だった。僕はご飯三杯と取り皿三回分、トースターでパンを二枚焼いて食べた。食後にはコーヒーを二杯飲んだ。なかなか美味かった。

二等部屋に帰って荷物を整理してから服を着替え、洗面所へ行って歯磨きと洗顔を済ませた。それからあてもなく船の中を散歩して、甲板にあるベンチに座り水平線を眺めていると、船内の放送がまもなく名古屋港に着くことを告げた。僕は荷物をまとめてゆっくりとTODAYの元へ下りて行った。周りには僕と同じように旅人の格好をした人たちがいた。これからどこかへいくのだろうか、それとも僕と同じようにこれから帰るのだろうか、と僕は勝手にその人たちを見て想像を膨らませていた。船の出口が開いて大型トラックや貨物車がつぎつぎと外へ出て行き、二輪車の順番が回ってきた。僕は船をおりる前にゆっくりと深呼吸をした。もういろいろとおわったんだ。不安や恐怖を感じることはもうない。暗いことについて考えるのはもうやめよう。もっと前向きなことについて考えよう。弱い自分の姿を見つけてその課題と向き合ったことについて考えよう。それを乗り越えるために僕はこの旅に出た。弱い自分を変えるために。船員は笛を吹いて二輪車を誘導し、それを聞いた僕はTODAYのエンジンをかけて船を出た。

 

十二日目 愛知-大阪

僕は名古屋港に降りて三重の方へ向けて出発した。名古屋の町はこれまで通ったあらゆる都会と同じように人々であふれかえり活気であふれかえっていた。腕時計を見て忙しそうなサラリーマンや、電話をしながらメモを取っているOLや、なにやら楽しそうに話している学生の雰囲気は、仙台や大阪や広島や福岡のそれと同じようなものを感じさせた。東京とは少し違っていた。あそこは特別だ。僕は二度目の金のしゃちほこを見てから、国道一号線に乗り西の方へ向けて出発した。

四日市を抜けて鈴鹿サーキットを通り過ぎ、三重の亀山で国道二十五号線に乗り換えて再び進んだ。僕は旅の行き道と同じ道を帰り道で通っていた。しばらく進んだそのとき見た記憶がある風景が、行き道とまさに同じ風景が、僕の目の前に現れた。僕は軽いデジャブに襲われた。でもそれは本当に前と同じ場所だった。行きの時は雪が降っていて雪化粧をかぶっていたが、帰りの今は雪が溶けて冬の枯草が姿を現していた。そこは谷が見える開けた場所で、山と山を結ぶきれいな橋が架かっているところだった。僕は行き道に感じていたことを思い出した。たしか国道二十五号線の草地や砂地、川のほとりにある散歩道のような道を延々と走ってきて、疲れていた気がする。またあの道を通るのかと一瞬僕は思った。そういえば「好奇心と勇気の関係性」についても考えていたな。あのときと今では何か変化があるだろうか? 具体的なことについてはわからなかったが、僕は「何か」が変わっていることを感じ取ることができた。しかし僕は「何が」変わったのだろう? しばらくその風景を眺めながら考えを巡らせていた。

 

十二日目 愛知-大阪

僕はさまざまなことをこの旅で経験してきた。好奇心に駆られて出発し、恐怖と絶望を味わい、内省し葛藤し、たとえようもない寂しさや悲しさを東北で感じた。九州や中国や四国、関西と関東、東北へいく中で見方が変わり、考え方が変わり、行動が変わった。僕は数え切れないようなものをこの旅で得た気がする。

あるいは僕は何も変化していないのかもしれない。それは「気がする」だけで、実際には何の変化も見受けられないのかもしれない。身長だって変っていないし顔の形だって変わっていない。足のサイズだって変っていない。目に見える変化と言えば体重の変化くらいだろう。またそれらは、つまり僕の内的な変化は、僕自身が見た変化であり、他者からは変化とは呼べないのかもしれない。しかしそれでいい、と僕は思った。結局「変化する」ということはそういうことなのだ。自分自身が「変化した」と思えばそれは「変化」なのだ。

こんなこと考えていてもどこへもたどりつけないと思った僕が考えるのをやめると、周りの風景が徐々に色彩と形状をとり戻し始めてきた。その風景は前の記憶と変わっていなかった。どれくらいの時間自分の中にいたのだろう? わからない。それは数秒かもしれないし数十分かも知れない。でもとにかく、今の僕の中にはわだかまりのようなものはない。「自省」は十分にできたのだろう、と僕は思った。心にあった雲は晴れてすがすがしい日本晴れの気持ちが心を占めていた。僕は体勢を整えて深く座り直してからもう一度その風景を見て目に焼き付け、エンジンをかけて西の方向へと進み始めた。

 

十二日目 愛知-大阪(完)

僕は奈良を越えて大阪へ来ていた。実家を目指して進み国道二十五号線の二度目の洗練を受けて、僕は故郷に帰ってきたのだ。大阪へ帰ってくると、通天閣御堂筋線、なんばの夜の街があたりに彩り鮮やかな光を照らし出していた。僕はこれまでの旅で一番の安心感を抱いていた。それは旅の終わりの安心感なのか、故郷に帰ってきた安心感なのかはわからなかったが、その思いは僕に毛布に包まったときのような温かさを感じさせていた。

見慣れた街を通り抜けてにぎやかな街並みを横目に見ながら、ようやく実家にたどり着いた。「やっとついた」それが最初に抱いた思いだった。僕は家のチャイムを鳴らした。

「はーい。」と言って母親がドアを開けた。

「ただいま。」と僕は言った。

母親はドアを開けた手を握ったまま玄関から片足を出して、放心したように五秒ほど僕を見ていた。

それからふと我にかえったように母親は言った。「あれ? おかえり?」自分で言った言葉の意味が分かっていないみたいだった。

「旅をしてここまで帰ってきたんだ。」と僕は言った。

「そうなの?」母親はまだ納得できていないようだった。僕と母親の間には陽気な沈黙のちりが漂っていた。そしてそのちりを乱すように母親は言った。「とにかく寒いでしょ? 温まるから家に入りなさい。」

家に入ると僕の心は明かりが灯ったみたいに温かくなった。家の中は明るく暖房がきいていて体の芯まで暖かくなった。そこには父親と兄もいた。

「どうして?」と母親はいろんな意味を含めた疑問を投げかけた。

「どうしても。」と僕は言った。

母親は大きくため息をついた後、「まあいいわ。元気そうな顔してるし。どこも悪そうなところもないし。」と半分あきれて半分嬉しそうに言った。

それから僕は旅の出来事やどうして旅へ出たのかを話して、いままでどこにいたのか、どういうことをしていたのか、どういうものを見たのかを詳細に伝えた。

「よく帰ってこれたわね。」それが母親が一番最初に言った言葉だった。

「とてもたのしかったんだ。いろいろとつらいこともあったけれどね。」と僕は言った。

「ほんとうに」と母親は言った。「あなたが無事に帰ってこられてよかったわ。好奇心ですぐに行動してしまうタイプだけど、ここまでするとは思わなかったわね。なによりあなたの命が無事でよかったわ。それが何より大事。好奇心でとび出して命をなくしてたらわたしどうしてたか。」母親の言葉はどこか寂しさを含んでいた。

そしてこう続けた。「命の危険を感じてちゃんと帰ってきたのは賢明だったわね。あなた運がいいのね。わたしの妹に感謝しなさいよ。」

「運がいい」。この言葉も確かに正しいのだろう。僕はいろんな力をもってこの旅を終わらせられたのだろう。命もあってこの経験もして旅は終わるようになっていたのだろう、と僕は思った。僕は不思議な力を感じながら家族とのあたたかい時間を過ごし、この旅を終えた。

 

                  完

 

九日目 神奈川-福島

僕は千代田区を抜けてどこが街の切れ目かわからないような街並みをずっと走っていた。品川区、港区、新宿区、千代田区、台東区、足立区、これまで通ってきたのはそんなところだった。どの街も同じように忙しく、同じようにものすごいスピードで動いていた。日本の中心がここであることにも納得ができた。僕は国道四号線を走りながら意味もなく流れゆく人々を眺めていた。

東京はこれまで通ったどの街とも僕の目には違って見えた。すれ違う人々の姿はみんな何かしら不自然で、なにかしら技巧的だった。僕は信号で止まったときに彼らひとりひとりの顔を観察した。そして彼らはいったいどういう種類の人間なのだろうと考えた。いったいどんな家に住んで、どんな家庭をもって、どんな生活を送っているのだろう。彼らは旅行に行ったり、友達と遊んだりしているのだろうか。幸せなのだろうか。自分たちが不自然で技巧的に見えていることを知っているのだろうか。僕はしばらくそのことに考えを巡らせていたが、わからなかった。友達と遊んで旅行に行くことが幸せなのかもしれないし、仕事に打ちこんで時間を過ごすことが幸せなのかもしれない。僕は自分の幸せと彼らの幸せを比べること自体がおかしいのかもしれないと思った。それからしばらくして信号が青になりまた僕は進み始めた。

しばらく進むと東京を抜けて埼玉へ入った。そして越谷や春日部を通り過ぎるとすぐに栃木へ入った。宇都宮に着く直前に、そういえば世界遺産日光東照宮が近くにあるなということを思いだして国道百十九号線に乗り換えて観光に行った。一時間半ほど観光してから雪化粧をかぶっていて本宮も綺麗だったなと思い満足して門を出た。有名な猿の彫刻も見れたし、世界遺産はこれで二つ目だ。日光の景色も美しくてよかった。満たされた気持ちで参道を歩き駐輪場へ戻ってエンジンをかけTODAYにまたがった。そして国道百十九号線に乗って宇都宮へもどり、国道四号線に乗り換えて福島をめざした。