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九日目 神奈川-福島

僕は千代田区を抜けてどこが街の切れ目かわからないような街並みをずっと走っていた。品川区、港区、新宿区、千代田区、台東区、足立区、これまで通ってきたのはそんなところだった。どの街も同じように忙しく、同じようにものすごいスピードで動いていた。日本の中心がここであることにも納得ができた。僕は国道四号線を走りながら意味もなく流れゆく人々を眺めていた。

東京はこれまで通ったどの街とも僕の目には違って見えた。すれ違う人々の姿はみんな何かしら不自然で、なにかしら技巧的だった。僕は信号で止まったときに彼らひとりひとりの顔を観察した。そして彼らはいったいどういう種類の人間なのだろうと考えた。いったいどんな家に住んで、どんな家庭をもって、どんな生活を送っているのだろう。彼らは旅行に行ったり、友達と遊んだりしているのだろうか。幸せなのだろうか。自分たちが不自然で技巧的に見えていることを知っているのだろうか。僕はしばらくそのことに考えを巡らせていたが、わからなかった。友達と遊んで旅行に行くことが幸せなのかもしれないし、仕事に打ちこんで時間を過ごすことが幸せなのかもしれない。僕は自分の幸せと彼らの幸せを比べること自体がおかしいのかもしれないと思った。それからしばらくして信号が青になりまた僕は進み始めた。

しばらく進むと東京を抜けて埼玉へ入った。そして越谷や春日部を通り過ぎるとすぐに栃木へ入った。宇都宮に着く直前に、そういえば世界遺産日光東照宮が近くにあるなということを思いだして国道百十九号線に乗り換えて観光に行った。一時間半ほど観光してから雪化粧をかぶっていて本宮も綺麗だったなと思い満足して門を出た。有名な猿の彫刻も見れたし、世界遺産はこれで二つ目だ。日光の景色も美しくてよかった。満たされた気持ちで参道を歩き駐輪場へ戻ってエンジンをかけTODAYにまたがった。そして国道百十九号線に乗って宇都宮へもどり、国道四号線に乗り換えて福島をめざした。

 

九日目 神奈川-福島

福島に到着した。東日本大震災の影響で原子力発電所の近くの道が通れなかったので、僕は迂回して福島の町へ行くことになった。白河についてから吉野家で牛丼を食べ、コンビニでジュースを買って飲んでから、再び福島市へ向けて進んだ。福島に入ると関東のにぎやかさは姿を消し、この旅では感じたことのない種類の静けさが辺りを覆っていた。空は暗い色をした分厚い雲に一分の隙もなく覆いつくされ、そこを通り抜けてやっと地上にたどり着いた太陽の光は、その本来の温かみををあらかた奪い取られていた。そんな灰色にくぐもった冷やかな光の中で、樹木は葉を落としたむきだしの枝を空に向けてつきだし、草木は空の色に染められたように灰色の衣を着せられてなびいていた。気温は低かった。その日は最高気温が0度を下回るような日で、風は冷たく、風を遮るものさえなかった。東北にきて地域的な寒さを感じているのか、それともどこか寂しげで悲しげな雰囲気によって寒さを感じているのか僕にはわからなかったが、とにかく寒かった。

しばらく国道四号線を走り続けて、郡山に着いた。一年九か月前、友達とマクドナルドで喋っているとき別の友達が入ってきてそれを話して僕は東日本大震災を知った。そのときは何かの映画かなにかと思っていたのだがそんなことはなかった。僕のばかばかしい勘違いだった。それから日本は自粛ムードにつつまれ、福島第一原発放射能を漏らし、その付近に住む人は避難生活を余儀なくされた、というニュースが毎日のように流れ続けた。今そのあたりにきているのだ、と僕は思った。不思議だった。大阪にいたときも鹿児島にいたときも関係ないことだと思っていたが、実際に来てみると考えが変わる。見方が変わる。そして行動が変わる。僕に何かできることはあるのだろうか。そんなことをずっと考えていた。

やがて日は暮れて福島市に到着すると、もうぐったりと疲れていたので、またネットカフェを探すことにした。初めに行ったところは二十四時間営業ではなく、次に行ったところは何か月か前に潰れていた。その次にいったところは二十四時間営業だったが深夜パックが午後九時からだったので、僕はそれまでガストに行って暇をつぶすことにした。ガストではハンバーグセットを食べ、ドリンクバーでコーヒーを三杯飲んでからデザートを食べ、勘定を払って外に出た。ネットカフェの深夜パックはもう時間内だったので、寄り道もせずそこに行って店に入った。店に入るとすぐに部屋を予約し店員に案内してもらった。その時の店員はやさしかった。部屋に着いてソファに座ると、北海道にいる叔母にもうすぐ着くよ、という電話をかけようとふと思った。僕は荷物を置いてきちんと整理し、貴重品をもって外に出てから、早速叔母へ電話をかけてみた。

 

九日目 神奈川-福島

「叔母さん、ひさしぶり。」

「あら、ひさしぶりだね、どうしたの急に電話なんかしてきて。」

「少しびっくりするニュースがあるんだ。」と僕は言った。

「あら、なんだろうね」と叔母は期待した声で言った。

「実は僕、福島にきていて北海道まで行こうと思ってるんだ。」と僕は言った。

「うそ? ほんとに?」と叔母は言った。「あなた鹿児島にいるって言ってたじゃない。どうやってきたの?」

実はこういう理由でこうやってきたんだと僕は言った。

「あなた冒険者ねえ。うちの家系に似たのかしら。」と叔母は半分嬉しそうに半分あきれて言った。「で、なんで電話かけてきたの? うちに泊まるため?」

「そうなんだ。そのつもりで電話したんだ。」と僕は言った。

「いいけどあなた雪降ってるでしょ?」と叔母は言った。一呼吸おいてから叔母は続けた。「北海道はもっと雪よ。福島はどのくらいか知らないけれど、こっちは五十センチは積もってるわよ。あなたTODAYで来てるって言ったわよね? 危ないからやめときなさい。この前も家の前の道路で路面が凍結しちゃって事故があったのよ。一人は亡くなったんだから。」

危ないからやめときなさい? と僕は思った。その言葉に考えを巡らせるひまもなく叔母は続けた。「あなたどうせ好奇心に駆られて旅に出たんでしょうけど、好奇心に命は代えられないわ。命はひとつなの。あなたの命がいちばん大切なのよ。好奇心は勇気を掘り起こしてくれるとかそういう話じゃないの。好奇心だ勇気だとか言って命を失くすと一度きりだけど、命があったら何度でもチャレンジできるわ。まあでも、どうしても来たいっていうなら来なさい。そのかわりTODAYを置いて電車かなにかでね。私の友人が仙台にいるからそこに置かせてもらえばいいわ。あとで電話しておいてあげる。」

そう言って叔母は電話を切った。

旅をやめる? そんなこと一度も考えたことがなかった。たしかにどうしようもなく不安になって、とてつもなく腹が減って、耐えきれない寂しさに襲われたことはあるけれどやめようなんて一度も思ったことはない。でも叔母の言うように雪で道路は凍っているし、僕はTODAYで来ているし、下手してこけると死ぬかもしれない。死ぬ? そのとき僕は初めて命の危険を感じた。そう考えるととても怖くなってきた。明日死ぬかもしれない。それはいままでのどの恐怖よりも絶望的な恐怖感を僕に与えた。体が震えてきた。喉がからからだった。唾をのむとうまくのみ込めなかった。「好奇心に命は代えられないわ。」叔母の言葉がこだまのように頭に響いた。

 

十日目 福島-宮城

気がつくと深夜パックの時間はとっくに過ぎていた。僕は眠っていたのか? 僕は急いで荷物をまとめ、十五分オーバーの料金を払った。叔母の言葉がこだまするまま僕は外に出た。太陽は白く凍てついた街にひさかたぶりの陽ざしを注ぎ、あたりは雪解けの水と眩しい輝きに充ちた。沿道に並んだ樹木の枝から雪のかたまりの落下する音が響いていた。僕はその銀色に輝く宝石を眺めながらTODAYのエンジンをかけ、いそいで飛び乗り出発した。東北の朝は寒かった。ひんやりとした空気と山から吹いてくる風が、あたり全体を寒気の膜で覆っていた。

僕はくっきりと見える山頂の積雪を眺めながら、昨日の叔母の言葉に考えを巡らせていた。行くか? 行かないか? やれやれ、この前もこんなことで悩んだ気がするな。行かないと後悔するだろうが、行くと命の保証はないだろう。三十分考えたあとで僕は道路脇にTODAYをとめて、叔母の友人へ電話をかけた。「行かないです」とはっきり言った。あら、そうなのね。私もやめておいた方がいいと思ったのよ、とその友人は言った。謝罪をして礼を言い、叔母にも連絡を入れて、また出発した。とりあえず仙台まで行こう。そこが僕の旅のゴールだ。そして今日が旅の最終日だ。

 

十日目 福島-宮城

僕は仙台駅に着いた。あたりはもう暗かった。僕は今日一日中なにをして過ごしたのか思いだせなかった。何をしていたんだろう? でも夜はあたりまえのようにやってきていて、町には明かりが灯り、人々はにぎわい、仙台の街は駅を中心に活気づきだしていた。道路は何車線もありそこは車が滞りなく流れていて、笑い声やクラクションや大型ビジョンの音が交差して大きく響き合っていた。僕はどうしようもなく頭の中の記憶を辿りながら仙台駅の近くにある駐輪場にTODAYを停めて、意味もなくとにかくその町を歩こうと思った。しばらく歩いていると空から大きな雪片がゆっくりと舞い降りてきた。それはまだ本格的な降りではなかったけれど、雪のせいで街の音は少し違って聞こえた。僕は暇をつぶすためにそのブロックを一周してみた。

何をしたらいいのだろう? 僕は自分の足を眺めながら歩いた。駄目だ、何もやることが見つからない。何をすべきなのかも思いつかない。こうして一人でいると、だんだん自分が失われていくような気がする。さみしい。どこにいけばいいのだろう。とにかく僕はどこかにいかなくてはならない。ゲームセンターはどうだろう、と僕は思った。あそこはにぎやかで人もたくさんいる。とにかく寂しさを紛らわすのがいいように感じる。遊びつくして楽しめばいいという気がする。でもそれでどうなるだろう、そこからどうすればいいだろう、と僕は思った。どうにもならないだろう。たぶんもっと寂しさが増すだけのことだろう。なぜなら僕は自分がひとりであることに変わりはないからだ。自分がひとりである限り、僕はいろんな孤独を抱えていくだろう。

僕はそれからそのブロックを二周し、それからもう一周した。雪は静かに降り続いていた。僕は歩きながら心の中の寂しさを整理しつづけた。人々は白い息を夜の闇の中に浮かべながら僕の脇を通り過ぎていった。誰が助けてくれるのだろう? 僕は記憶の中に回答を求めた。でも頭の中にはだれもいなかった。友達もいないし、お世話になった人もいないし、叔母さえいなかった。がらんとしていた。がらんとした部屋の中で僕が一人で座っているだけだった。誰も答えてはくれなかった。その部屋の中で僕は好きなことをして、遊んで、疲れていた。僕の周りにはもうだれもいなかった。それは哀しい光景だった。僕はどうしようもなく寂しくなって、人のたくさんいる百貨店に入りこんだ。そこから人のたくさん見えるベンチを探して座り、流れゆく人を眺めていた。僕は恐怖や絶望は感じていなかった。たださみしかった。どうしようもない寂しさをかかえてベンチでうずくまり、十分間ほどそのままの状態で座っていた。

 

十日目 福島-宮城

僕はそのまま三十分待ってみたが、寂しさはおさまらなかった。僕は一人なのだ。僕は自分の気持ちを受け入れてそれを繰り返し頭の中で巡らせていると、どうでもいいような気持ちになってきた。どうでもいいというよりどうしようもないのだ。別に眠くもなかったのでまたしばらく外を歩いてみることにした。うまくいけば何か紛らわせるものに出会うかもしれない。何か新しいものを見つけることができるかもしれない。何もやらないよりは動いた方がいい。何か試してみた方がいい。でも一時間歩いても何も見つからなかった。体が冷えただけだった。雪はまだ降りつづいていた。夕食を食べていなかったので牛タンを食べることにした。仙台駅にある「喜助」に入って牛タンとごはん(中)とスープのセットを頼んで食べた。とてもおいしかった。仙台の名産物はもうだいじょうぶだなと思った。

「喜助」を出てまた三十分歩いた。何もなかった。ただ仙台の夜風が街の気温を下げただけだった。僕は仕方なくマクドナルドに入ってチーズバーガーとポテトを食べ、オレンジジュースを飲んだ。そんなもの全然食べたくなかった。さっき牛タン食べたばかりだったからだ。でもマクドナルドに入るとどうしてかわからないがつい食べてしまうのだ。おそらく体が定期的にジャンクフードを求めるような構造になっているのだろう。僕はもう外に出たくなかった。マクドナルドの席から外を見てみると、さっきより雪が強くなっていて道行く人はコートを体に引きよせて寒そうに歩いていた。今日はここで一夜を過ごそうと僕は思った。こんな寒さでテントを張れるわけがないし、何よりここは東北一の都会なのだ。また冷たい目で見られてしまう。深夜になって掃除に来る店員と何度も目が合いながら僕は二階の椅子に座って目をつぶり、その日を終えた。

 

十一日目 宮城-愛知

朝七時に起きた僕はマクドナルドを出て、駅の近くにあった駐輪場まで歩いていった。駐輪場につくと料金を払ってTODAYを取り出してある場所へと向かった。帰りのフェリーまで時間があったので僕は松島に行くことにしたのだ。朝の仙台は交差点を行き交う人々で溢れていた。携帯を片手に忙しそうに道路を渡っている会社員、とりとめもない会話をしている学生、上司の愚痴を言っているOLの姿で街は活気にあふれていた。僕はその都会の大きなうねりを眺めながら人々の流れとは逆の方向へ行き、国道四十五号線に乗った。そんな賑々しい光景が十分ほど続いた。そして松島に着くまでに塩釜へ入り、しばらく進むと東北の海沿いの景色が姿を表した。

塩釜に着くと、しんとした静けさがあたりを漂っていた。あたりの草木はどこかよそよそしく悲しげな表情を見せて野原に生えた背丈の高いすすきもひとつひとつが孤独に頭を垂れていた。空は曇り空で覆われて、まわりには薄い灰色の衣がかけられていた。あらゆるものは雲に覆われて灰色に染まりその特徴を失っていた。あたり全体の景色は寂しげで悲しげな印象を与えた。頻繁に通るトラックの音がその空虚の中で場違いに響いていた。目立つ建造物といえば民家や倉庫の小さいもので、その他に見えるものは田や畑、そこで農作業をしている老人が作物を摘んでいるところぐらいだった。その場に立つと自分さえもが灰色に見えてきそうな気がした。僕は悲しみとも寂しさとも言えない空虚の気持ちで流れゆく景色を眺めていた。まるで時間が止まっているような気がした。草木が風にゆられる姿を見なかったら僕は「時間が止まっている」と言われても納得したに違いない。しかし、そこは本当に時間が止められてしまったのだ。一年九か月前に起きた(二〇十二年十二月に僕は出発した)、東日本大震災によってこの地域はその営みを止めるられることになった。