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二日目 大分-広島

二日目の朝が来た。日が東から昇り樹木や草や葉が朝日の光を受けてみずみずしく輝いていた。公園は昨夜から一晩で生き返ったようにその活力を取り戻し、薄い朝の膜のようなものが辺りを覆っていた。新しい一日が始まり、たくさんの営みが今日もスタートすることを太陽の光は告げていた。予想したとおり鳥たちはベンチに一列で聖歌隊のように整列してその歌声をのびやかに響かせていた。五時二十分頃ということもあり朝日はオレンジ色に自身を輝かせて遠くに見える丘の方から顔を出し、奇しくもそれは東の方へ沈んでいく夕日のように見えた。草原は朝露をつけて自らの生命を潤し、鳥たちは水道近くにできた水たまりでのどを潤していた。僕が最初に抱いた感情は安心だった。寝る前にもしかすると朝は来ないかもしれないと思っていたものは、朝日の光を受けると一番ホールのティーショットのように吹っ飛んでしまっていた。また同時に「何とかなっている」と思った。昨日さまざまな種類のさまざまな出来事があったがとにかく今日僕は生きている。朝日を受けて新しい一日のスタートを感じることが出来ている。

そんなことを一人でぶつぶつ言いながらテントを片づけていると一人の男が話しかけてきた。

「あんた、昨日ずっとここにテント張っていたけど、旅の者かなんかかい?」

「そうです」と僕はびっくりして答えた。その人はいわゆるホームレスと呼ばれる人で、ズボンのすそと膝は破けて、歯は黒い。決まったように帽子をかぶっている。

「あんたのこと昨日からちょっと気になってたけど、ひとり旅のもんだったか。」

僕は頷いた。

「ひとりはいいもんだろう。何より自由だ。好きな時に好きなことができる。俺はそう思うね。」

男は帽子をかぶり直してまた続けた。

「結局人と関わってたってなにもいいことなんかありゃしないんだ。邪魔をしたり邪魔をされたりのくりかえしだ。おれはこういう生活を十数年とつづけているが、その前の何十年かよりよっぽどいい人生を送ってる。そうだろう。」

僕はそれについては何も答えなかった。

「俺は福岡の会社に勤めてたんだが、携帯やコンピューターやなんやといって、何が面白いんだかわかりゃしなくなったから会社をやめてきてやったんだ。おれは妻もいねえし、今の社会じゃ気に入らねえから人里離れたこの土地へきたんだ。そんな機械ばっかにお金をかけてるくらいならおれにお金をかけてほしいよな。」

男は久しぶりに話し相手を見つけたのか長い間話をしていた。自分の武勇伝について、自分の不幸について、自分の人生について、世の中について。その男が会話に満足して帰ったあと、僕は片づけに戻り出発の支度をした。「今日も進まなくちゃいけない」と声に出して言ってみた。そう言ったことでいくぶん自分の気持ちを整理できたような気がした。荷物をまとめてTODAYに乗せ、エンジンをかけて動くことを確認した。そして昨夜お世話になった公園をあとに国道へ乗り、再び北へ進み始めた。

二日目 大分-広島

僕はポケットからiPodを出し、Mr.Childrenの(an imitation)blood orangeを聴いた。そのアルバムは全部で十一曲収録されており五十九分で曲が一周する。(1)hyponosisから始まり(11)祈り~涙の軌道で終わる。二〇十二年に発売されてオリコン週間一位、十一月度月間一位、年間八位を獲得した。シングル曲は、「かぞえうた」、「祈り~涙の軌道/End of the day/pieces」、「hyponosis」が収録されている。僕はこのアルバムが好きだ。大好きだ。一人旅の道中、暇を持て余さないように購入したアルバムだった。ちょうど旅の出発時期とアルバムの発売時期が近かったのでこれを選んだ。事前に購入していたが一度も聞かずに置いておき、旅に出てから聞きはじめようとあたためておいたものなのだ。重低音のドラムが響き「hyponosis」が始まり、ヴォーカルの桜井和寿さんが叫び声にも似た声量で歌い上げ、軽快なステップでダンスを踊り始めそうな「Marshmallow day」が流れて、最後には心の清らかな部分にある川のほとりにいるような気持ちにさせてくれる「祈り~涙の軌道」でさよならを告げる。僕はこのアルバムを聴くと今でもこの旅のことを思いだす。あの頃といまを結びつけてくれるいわば架け橋のような音楽なのだ。

太平山と鶴見岳をみながら別府を後にして僕は九州の北へ向かい進んでいた。わりと高台のところで振り返ると別府の町が一望できた。きれいに上る湯気と温泉宿、ひときわ目立つ別府タワーが見えた。僕の出発した鹿児島はもっと奥の方でひっそりと身を潜めている。「もう見えないところまできてしまったんだな」ほとんど無意識だったが声に出して言った。懐かしいような気がした。僕はTODAYにまたがってハンドルを握り直し、またエンジンをかけて前へと進みはじめた。

 

二日目 大分-広島

もうすぐ大分をぬけそうだ。福岡のナンバープレートがあたりを埋めはじめたころ、あたりは昼に近づいていた。太陽は燦々と照り付け、冬にもかかわらず上着がいらないほどの気温だった。風は冷たいがあたたかい太陽の陽ざしが道行く人を活気づけていた。忙しそうに早歩きするサラリーマンと、雨も降っていないのに傘をさしているOL、大発見でもしたかのように夢中で話している小学生の自転車の群れ。どこの町に行ってもこの風景は変わらない。

僕は急にラーメンが食べたくなった。たぶんもうすぐ博多だ。博多と言えばラーメンだと僕は思った。この旅では各地のおいしい名物を食べてまわろうというのも目的のひとつに入っていた。美味しそうなラーメン屋さんを探してTODAYを停めて、メニューを見てからそこへ入った。店舗の色彩がきれいで、ある程度客も入っていて、駐車場が大きい店だ。食べ物屋さんを選ぶひとつの基準としている。入ってすぐに怒号のように元気がいい挨拶が響き、店員が来て僕は席へ案内された。豚骨スープのほんのり濃厚な香りが胃を刺激し、カウンターにはネギやにんにくや紅ショウガが並んでいる。周りの客の麺をすする音やスープをすする音、さらにはあつあつのごはんを口へはこぶときのはふっはふっという意味のない声を発している隣の客に僕は限界になりラーメン(大)とごはん(大)を注文した。ラーメンは芸術品のように美しく盛られていた。スープが黄金色で、麺が中央に盛られていて、その上にチャーシューが三枚並べられ、色彩を持たせるための緑のネギと濃い橙色の半熟卵があった。メンマは一か所に集められ、最後に海苔がどんぶりをはみ出すようにそり立っていた。僕は早速カウンターにあったネギとにんにくと紅ショウガを入れて食べた。感想はまあまあだった。断っておくが博多ラーメンはうまい。僕はこのあとも食べる機会があって-何年か後の話だが-博多ラーメンはとても美味しいと思った。もつ鍋を食べた後にシメでたべたから余計においしかった。でも僕のあたったこの店ははずれと言っていいかもしれない。期待していた分の落胆は大きかった。一つの名前を共有したものがあまりいい影響を与えなかったときイメージが悪くなってしまう。難しいものだなと僕は思った。まあお腹いっぱいになったからどうでもいいやと思い勘定を払ってから店を出て、外の風を受けて再び九州を北へ進んだ。

 

二日目 大分-広島

福岡をぬけた。関門トンネルを抜けて山口へ到達したのだ。降り立った地は下関で、そこには有無を言わせない見事に立派な橋が建っていた。関門橋だ。僕は山口側からその橋と関門海峡が同時に見える風景を眺めていた。海風が心地よく鳥が気持ちよさそうに飛んでいる。周りにはジョギングをしている人もいれば、仲良く手をつないで歩いているカップルも犬を散歩している老夫婦もいる。平和なその風景を眺めていると僕は落ち着いた静かな気持ちになることができた。松の木かげにベンチがいくつか置かれ、そこからは歴史上の人物らしい銅像が見えた。だれかがその傍で紙芝居をしていた。周りにはギャラリーができてにぎやかにそのショーをたのしんでいる。僕は本州へ入ったのだ。ここからはいったん東に真っ直ぐすすむことになる。案内所の人に地図をもらって山口の抜け方を教えてもらった。時刻は昼下がりの頃だった。

最初の方はずっと海沿いに国道九号線が走っているため、僕は海を横目に見ながら走ることができた。潮風を浴びながら心地よいスピードで、自分の好きな方向に進んでいるあの感覚。気持ちよくて何もかもがうまくいきそうな気がしてくる。しばらく走ると国道二号線に切り替わり、町の方へと景色はシフトしていった。もう海の向こうに見える福岡の山間は見えない。コンビニやファッション店、レンタルビデオ店や飲食チェーン店が並び、町で営む人々の場所へ入りこんだ。これはこれで悪くない、と僕は思った。何かしらの安心感はある。さっきの落ち着いた気持ちとは種類が違うが、人の営みを感じることが出来るのは安心感につながる。そう思いながら僕はさらに東へ進みつづけた。

 

 

二日目 大分-広島

防府市のあたりにさしかかったとき日は傾きかけていた。このままここに泊まろうかと考えたが「せっかくここまできたんだ。広島までいこう」と決意して僕は走り続けた。しかし、このとき僕の頭に何かがよぎった。嫌な予感がした。何か黒くてもやもやとしたものが頭の中に重く残り、それを追い出せなくなった。でもとにかく僕はその予感を気にもとめずに東へ東へと進みつづけた。「あとちょっとなんだ、大丈夫だよ」と自分に言い聞かせた。距離と時間を計算しても十分な時間につくはずだ。自信はあった。でも一方で、何か不吉な予感のするものが心の一部に染み込んでくるのが感じられた。夕闇みに染まっていく陽は何かをうったえるように淡くその光を失っていった。

防府市をぬけて周南市をぬけると、町の形相はどこかへいき山道にはいった。空はどんよりと暗く曇り始めていた。淡い闇が静かにまわりを漂っていた。山からは強い風が吹きつけてよそからきた僕を威嚇しているようだった。周南市から一時間は走っている。でも町はまだ見えてこない。地図上では大竹市広島県の入り口で順調につくはずなのに。それまでに町はあるはずなのに。僕はそのとき自分のいる場所を知る手段を持っていなかった。携帯に位置情報はついていないし、まわりに地図のあるような店はない。だんだんと不安になってきた。見上げるとより一層深い闇がこの場を包んでいた。頭の中にあった何か黒くてもやもやとしたものがもっと重くなり、そのかたちを変えて僕のあたまを占めるようになってきた。意識もそれにつれて重くなり漠然としてきた。昨日よりもひどい。目の前がぐらぐらと揺れ始めて体のバランスが微妙どころではなくなってきた。こんなに不安になったのは生まれて初めてだ。

 

二日目 大分-広島

僕は転倒した。不安になりすぎて沿道にある砂が散らばっている場所で休憩をとろうとTODAYを寄せたのだが、絶望的な体のバランスと目の前のぐらぐらとする揺れも手伝って、僕はまっすぐ止まることが出来なかったのだ。服の破れは一番下のヒートテックにまで及んでいて、暗くてよく見えなかったが血のようなものがついていた。痛くはなかった。感覚がどうにかしているのだ。僕は今の状況を整理しようと地図を確認し、周りを見渡してから時計を見た。しかしそれらの行為は僕の心の中を何も慰めてはくれなかった。むしろ傷口をえぐった。何もできないのだ。今どこにいるかわからない。どうなったら助かるのかわからない。なにが起こっているのかわからない。自分が何歳かまで忘れてしまいそうだった。絶望的。こんな絶望はいままで味わったことがなかった。何かを考えようとすると頭の奥が疼いたし、胃の底の辺りには糸屑のかたまりのようなものが沈んでいてときどき吐き気がした。耳に栓をしたようにあたりはしんと静まりかえっていた。息苦しくて体が震えている。寒さなのか恐怖なのかそれとも両方なのかわからない。もう帰れない。ここまでくると帰れない。この思いが最後の一撃をくわえ、僕をどん底まで叩き落とした。

 

二日目 大分-広島

僕の意識のふちを蹴ってきたのはクラクションの音だった。渋滞している。僕はどうしていたのだろう?頭に手があったことを思うとふさぎ込んでいたのかもしれない。どれくらい時間が経過したか分からない。はっきりとしていることは、渋滞していることと、絶望的に体調が悪いことと、もう帰れないこと。何ひとついいことがない。地球は終るんじゃないか。いや、まてよ。帰れないんだったら前に進むしかない。僕は前しか向いていない。誰かがそう言っていた。自分かもしれない。誰でもいい。とにかく前に進もう。地球はまだ終わらない。なぜこの旅に出たか思いだしてみろ。僕はTODAYにまたがり渋滞の道路に出た。横の隙間を縫っていくように低速度で走り続けた。とにかく前に進もう。もうこの言葉しか頭になかった。すると、一軒の店の灯りがあった。地図を置いてそうな店だ。すかさずTODAYを止めて-今回は転倒しなかった-店へ入り、今どこなのか、どこへいくべきなのかを聞いた。店員はやさしく答えてくれて僕はより細かいその地図を買った。店員の言葉は天からの啓示のように感じられた。心はまだ乖離のような感覚を失っていなかったが、それでもボタンを一つか二つ掛け合わせたように少しは体と近づいていた。

教わった道を進み何分かすると大竹市についた。大竹市の道路標識を見つけたときは心躍った。僕は町を抜けてさらにもう少し進み、廿日市市までたどり着いた。寝れそうな公園を探したがそんなものは見つからなかった。三十分以上探し続けたがなかった。また不安になりそうだった。今日は寝るところがないんじゃないかと思うとまた僕の意識を奪っていく歪んでどろどろとしたものが僕の体を浸食していきそうだった。探しながら同じ道をぐるぐるまわっているうちに、息を潜めていたどろどろとしたものが僕の意識を支配し始めようとしていた。またあれがくる。それだけはいやだった。寂しさとトラウマが脳裏を何度もよぎり、人がいて二十四時間経営している場所へ僕の足を運ばせた。

僕の今日の宿はファミレスだった。