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旅の始まり

年末特有の妙に落ち着いていて、そして忙しい時期に僕は旅に出た。僕はドキドキともワクワクとも言えない何か特別な感情を抱いていた。まるで悪戯をして見つかるのを待っている時のような心境だった。その無謀とも言える旅で僕はたくさんのことを手に入れた。寒地に進み、空腹に耐え、孤独に生きて、九州-東北を一巡した。たくさんのことというのは不確定的で抽象的な言葉だ。しかし僕が手に入れたものは、具体的な言葉にできないものだし、自分でもうまく理解できていないのだ。

そのような旅の話を文章にして、意味を持たせたいと思う。書くことによって意味は現れ、その形を編成していく。あなたがもしよければ最後までお付き合いください。

 

一日目 鹿児島-大分

朝が来た。

昨夜、期待とも不安とも言いがたい、不思議な気持ちが心を占めた。新たなことをはじめるとき大抵の人間がそうであるように、僕はベッドの中で心躍り同じくらいかそれ以上に不安定になった。僕はその不安定さを取り除くために日常で行ういつも通りのルーティーンをこなしていた。朝起きてベッドを直し、食堂で朝食をすませたあと、部屋に帰って歯をみがき、顔を洗った。それからテレビを眺めて、音楽を聴いた。昼になると簡単にスパゲティーを作って食べ、ぶらぶらと散歩に出た。同じようなわけで散歩していた猫と挨拶を交わし、一時間くらい暇をつぶしたあと、鼻歌を歌いながら家に帰った。やることもなかったので昼寝をし、起きたときにはもうあたりは暗かった。それから夕食の支度をし、テレビを見ながらそれを食べて、食後に歯を磨いた。寝る前に風呂に入って、上がってから冷たいお茶をのんだ。そうしてベッドに入った。

こんな生活が始まって一年とたっていない頃だったので、ルーティーンと呼べるものであったのか自信がなかったが、とにかくこんな生活を続けていた。しかしこうした日常的な努力も一から全て潰すように、その夜不安のしみは僕の心の大部分を浸食してきていた。まるでカップからこぼしてしまったコーヒーが本のページに染み込んでいくように。僕の力ではその浸食を止めることができない。考えれば考えるほどカップは傾きコーヒーがこぼれて浸食を増す。そんなことになるのなら考えない方がいいと僕は思う。乾くまで待つしかないのだ。僕はあきらめて布団を深くかぶり目を閉じて眠りに入った。 

でももちろんそれは僕を眠らせてはくれなかった。赤いおしりの猿を想像しないでください、と言われたときみたいに考えないでおこうとすると余計に考えてしまう。その分しみの浸食は勢いを増し続けてくる。どうやったらこの呪縛からのがれられるのだろう、逃げたい、やめたい、僕の弱い部分が呻き声をあげて叫んでいた。

ふと気がつくと日が昇っていた。僕は眠ったのだろうか?体がだるくないのを思うとたぶん眠ることができたのだろう。窓の外のまぶしい陽ざしで目が覚め、鳥たちが鳴いていて、寒そうな風に吹かれる枯れ木はしんぼう強く立っていた。昨夜の不安定さはどこかへいき、期待が心の大部分を占めていた。朝が来た。出発だ!

一日目 鹿児島-大分

十二月四日。僕は出発した。青空で晴れた日だった。僕はもう期待とワクワク感しかなかった。昨夜まで苦しめていた不安はどこかへ消え去っている。波打ち際にある落書きのように潮の満ち干に跡形もなく消されている。あれはどこへいったんだろう?あれはなんだったんだろう?考えてみてもわからない。

友達が見送りに来てくれていた。元気でな。生きて帰ってこい。どこかの辞書からひっぱってきたようなあたりさわりのない言葉をかけてくれた。この時の僕は<知らない遠くの町>にひとりで行こうとしていたので、友達のかけてくれた言葉が冬の朝の毛布よりも温かく感じられた。僕はそのとき、ヒートテック上下にカーゴパンツをはき、セーターとポリエステルの防水ウェアを着て、その上にジャージ上下、さらにその上にライダースジャケット、とてもファッショナブルとは程遠い服装をしていた。一人で旅をするのだから誰にみられてもいいや、という心持ちだった。終いにはサンダルだった。あの時の僕は何を考えていたのだろう。。ノンファッショナブルな服装と、期待とワクワク感、友達のかけてくれた温かい言葉、それぞれを持って、僕の旅は始まった。

僕は出発した。<知らない遠くの町>へ。僕はもう戻ってこれないかもしれない。期待と不安が汽水みたいにいりまじっている。この感情は常にセットなのだろうか?出発地を右に曲がり、信号をまた右に曲がり、大きい道路へ出るまで真っ直ぐ進んだ。よく通る見慣れた道を過ぎ、国道に出ると左に曲がり、国道二六九号線に乗った。目印となる建設中の高架線を確認してひと安心し、あとは携帯に記録していた通りの道を行った。事前に先輩に九州を抜けるまでの道を聞いていたのだ。まわりの風景も見慣れなくなったころ、僕のなかには、おそらく一人旅に出た人が共通して抱くであろう、こんな思いがあった。「あ~。とうとう来ちまったな~。」出発の興奮が解けはじめ、我にかえり始めるころ、みんなが抱くのだ。その頃から、「もうひとりの自分」があらわれ始める。話し相手が「自分」になるのだ。自分が客観的に見え始める。そういうことはわりに少ない気がする。日常ではたくさんの人と関わり、共感し同情しおごり憤怒し愛し・・・そんなもの並べてたらドミノタワーでもできそうだ。とにかく人と関わるのだ。どれが自分かわからなくなってくる。でも、旅という特殊なとき、ようやく自分と向き合いだす。

 

一日目 鹿児島-大分

宮崎についた。鹿児島から出発してまだ引き返せる距離だったので安心感があった。小学生の家出みたいに遠出するといっても戻ってこられる距離にいき、結局は寂しくなって帰ってくるということはよくある。そういう安心感はたしかにあった。でも、帰る気はこれっぽっちもなかった。僕は前しか向いていない。僕の気持ちは大山脈の岩のように固かった。小学生の家出ではないのだ。

宮崎についてから荷物を支える板が故障したので、ホームセンターに行って買い物をしてそれを修理した。それから再び九州の抜け道をめざして進み始めた。宮崎は長い。東西へ進む人にはまだ短いが、南北へ進む人にはとても長い。もちろん僕もその南北へ進む人だった。このような府県は他にもある。大阪もそうだ。長野もそうだし、熊本も、岩手もそうだ。北海道はわけがわからないくらい長い。逆の県もある。つまり、南北へ進む人にはまだ短いが、東西に進む人にはとても長い。山口がそうだし、鳥取や島根はやけに長い。僕のいち押しは静岡だ。あれは永久におもえる。またここでもちろん北海道はランクインする。そうとおもえば、右下にくちばしを伸ばしたタツノオトシゴみたいに見える京都府だってある。いまにも飛びたちそうな鶴のかたちをした群馬だってあるし、げんきに腕をあげて力こぶを見せている青森だってある。犬のかたちをした…もうやめておこう。日本はおもしろいかたちをしている。

                    *

そんな風に長い宮崎を走っていると、森林にはさまれた山道に出た。曇り空。山と山の切れ目で吹き抜けになっていて、寒風に吹かれてそよぐ木が並んでいた。マイナスイオンで空気はきれいで、澄んだ色の川が流れていた。まわりに人はいない。寂寞として別の世界に入りこんだみたいだった。こんな道が永遠に続いているのか。僕はそう思った。しみのようにひろがる寂寥感ともってきた勇気を天秤にかけて、僕は進んだ。

僕はもうすぐ宮崎をぬける。

一日目 鹿児島-大分

大分についたとき、もう日が暮れはじめていた。空を見あげると雲は以前よりずっと低く垂れ、その不吉な暗みを増していた。見慣れぬ景色と街並にひとりきりでいて、夕陽がだんだんそのオレンジ色を失っていくのを見ていると、僕はたとえようもない寂寥感を感じることになった。家出をして知らない遠くの町まできた少年が、暗くなってしまったらもうここから戻れなくなってしまうかもしれないぞ、と思っているみたいに。家にかえってあたたかいごはんが食べたい、あたたかい風呂に入りたい、あたたかいこたつでテレビを見ていたいと僕は思った。布団に寝転がって毛布に包まり、明日がきたら二度寝して何気無い一日が始まってほしかった。今日は明日が来ないかもしれないというぐらい長い夜になりそうだった。それから闇は刻一刻と深まっていき僕はどうしようもなく不安になってきた。冬の寒空は僕の体からあらゆるぬくもりを奪い取り、僕の意識を混乱させていた。それはまるで自分の体に他人の意識が入り込んでいるように感じられた。何もかもが重く、そして漠然としていた。ものを考えることが出来なかった。体からは微妙なバランスが失われ始め、何度も転倒しそうになった。

深い暗闇が辺りを覆い、冷やかなちりのようなものが周りを埋め始めていたころ、僕は恐怖すら感じるようになっていた。寒さは無数の棘のように僕の体に突き刺さっていた。一人旅ではじめての夜なのだ。人生ではじめての、<知らない遠くの町>の夜なのだ。おさまらない恐怖と、たとえようもない寂寥感を抱き続けて、進んだ先には温泉の町「別府」があった。僕の体からあらゆるぬくもりを奪い取っていた冬の寒空も、この町では効力を失くしていた。下水管の蓋からは湯気があがり、「ゆ」の簾がひらひらと舞って、町は温泉宿で活気づいていた。そこでは「千と千尋の神隠し」に登場する温泉宿のように華やかな色彩を持った宿があった。今にも、あの甲高い声のカエルと、紫式部のような女将、現代サラリーマン風な番台が出てきそうである。ついでに湯婆婆も。こんな精神状態のときに湯婆婆が出てきたら心臓が止まりそうである。

一日目 鹿児島-大分

僕は混乱した意識を戻し自分の体に自分の意識を入れ込んだ。体の微妙なバランスは絶妙なバランスにかわり、立ち上る湯気のように何もかもが軽くなってきた。何より素晴らしいのは人がたくさんいて明るいことだ。僕はここで温泉に入ろうと決心した。

選んだのはホテル風月HAMMONDが運営している温泉だった。名前は夢たまて筥。鉄輪(かんなわ)と呼ばれる種類の温泉があり日本一の湧出量を誇る別府市で鎌倉時代に一遍上人が開いた歴史ある温泉、を僕は堪能した。自然と安らかになり、-周りの人が裸であることが関係しているかわからないが-心を広げることができたような気がした。さっきまでの不安はどこかへ行き、どこからか湧いてきた自信とやすらぎと安心を手に入れ、僕は泊まれそうな場所を探した。

                   *

僕は寝袋を持参していたため公園を探した。恥ずかしながら僕はそのとき宿の取り方も知らなかったのだ。温泉で温めた体からは湯気が立ち上った。湯気を見ると、温泉街の活気を自分も手に入れたような気がしてあたたかくて満ち溢れた気持ちになれた。安心した心境で<知らない遠くの町>をふたたび見るとみんなが僕のために明かりを灯してくれているような気がした。温泉宿の明かり、街路の明かり、町の明かり、みんなそうである。それらの光がまるで何かの啓示のように僕の弱い心に射し込んだ。自信が湧き、ひとりでもこの長い夜をすごせそうな気がした。そのような思いを抱きながら国道を走っていると公園はすぐに見つかった。草木が繁茂して、蜘蛛の巣がねばねばとして、樹々がなかよく並んでいた。ときどきまわりの茂みが風に吹かれてさわさわと気持ちのいい音をたてた。空はもう真っ暗だが気にはならなかった。そこには樹木と草と小さな生物がもたらす限りのない生命の循環があった。その穏やかな世界の中では朝には鳥の声ものびやかに響くのだろう。

僕はひとりでテントを張る場所を探した。

一日目 鹿児島-大分

こげ茶色の地面になっている遊歩道の横に僕はテントを張った。僕がテントを組み立てる工程はぜんぶで十にわかれている。(1)テントを袋から取り出すにはじまって(10)杭を打ちつけるに終る。ひとつひとつ番号を数えながら、きちんと順序通りにテントを組み立てる。簡単だ。僕はテントを張り終えると中に入って寝袋を取り出してひろげ、その上に寝転がった。周りの世界が遮断されるとやけに耳がよく聞こえるようになった。そしてそれは少し不安にさせる種類の聞こえ方だった。まるでかくれんぼをしている時に鬼の足音に耳をすませるみたいに。風の音や草木のそよぎ、犬を散歩している人々の足音さえもが何かしらの暗示を含んだようによそよそしくなった。緊張感が細かいちりとなってあたりを漂う。世界中のあらゆるものが僕のテントを監視するために公園で待っているみたいだった。パトカーのサイレンが聞こえた。もしかしたら僕を捕まえにここまできているかもしれない。僕はだんだん自分が犯罪者になったように思えてきた。またこれだ、と僕は思う。僕はiPodとスピーカーを取り出し、それからアルバムを選択して「久石譲」の「Piano Stories Best '88-'08」を聴いた。眠れない夜にいつもこれ聴くのだ。これを聴いて僕はいくぶん安心し、眠りにつくことができそうだった。

やすらかな気持ちのまま今日の出来事を思い返してみた。わけもなく不安におそわれた前夜から覚めて、期待とワクワク感に胸をおどらせて出発し、興奮が解けはじめるころ「もうひとりの自分」が現れた。そのあと荷物を支える板が故障して都道府県のかたちについて真剣に考えた。山間にはさまれた道で寂寥感を感じて夕日を見た。闇が深まるころに寒さで体は痛めつけられ、歴史のある温泉でやすらぎをとり戻した。やれやれ。まだ初日だぞ。僕の旅はいったいどうなるのだろう。

僕は寝袋に深くもぐり込み、目を閉じて眠りに落ちていった。