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六日目 大阪-静岡

愛知に入ると、弥富を抜けてすぐ名古屋に入った。周りに広がるビルの数にこれまでの奇妙な感覚は少しは拭われたようだった。しかし相変わらず空は低く雲がずっしりと覆い、高いビルはその上を突き抜けてしまいそうだった。おびただしい数の車が行き交い、われ先にと急ぐ車で道は溢れかえっていた。街の中心部は国道がいくつも交差し合い、その道を通る度に僕はひやりとすることになった。道幅は広く車は混みあい、気性の荒い運転手はクラクションを鳴らしまくっていた。僕はその大きい道路の一番左車線を走りながらそのクラクションに毎回驚かされ、自分のことではないかと気にしていた。そんな中で僕は道を外れて何度か曲がり、少し進んで名古屋城へ到着した。立派な城がその敷地の中心に建てられていた。きれいに舗装された道を歩き、並木道で立ち止まって深呼吸をすると、僕の頭は少しクリアになったようだった。城の上に備え付けられた金のしゃちほこも少しは僕を応援してくれていた。

僕はそれから名古屋駅の近くに行って遅めの昼食をとった。昼食と夕食の間の時間だったので昼食と呼べるかどうかわからなかったが、とにかく食べた。僕はごはん三杯と味噌汁二杯とキャベツを四回おかわりした。とんかつ屋でごはんを腹に溜めておこうと思ったのだ。休憩もせずに勘定を払って外に出ていき、TODAYに乗ってまた国道一号線にもどった。少し進むと豊田の道路案内があり、だから車が多いのかとひとりで納得していた。よく見ると車のナンバーの地名表記がこれまで見た中でいちばん多かった。僕はどこがどこの地名かわからないままそのナンバーを数えるともなく数えていた。そんなことをしている間に道はだんだんとひと気が少なくなり、最後のナンバー豊橋が少なくなってきた頃に道路案内は静岡の方向を示しだした。

 

六日目 大阪-静岡

僕は静岡の浜松まできていた。三重をぬけてから愛知に入り、金のしゃちほこを見たあとに、長い静岡を走ってきたのだ。静岡に入ってからはどこを走っていても常に富士山が見え、僕は常にその山から監視されているような気分になった。あたりは夕闇につつまれて夜の街灯の明かりがあたりをぼんやりと照らし始めていた。僕は浜松駅のあたりにいた。大都会とは言えないにしろ繁栄という判を押すには十分すぎるほどの町で、国道一号線沿いには大型スーパーマーケットがあり、ボウリングやカラオケなどの娯楽施設があり、コンビニがところせましと立ち並んでいた。僕はここでテントを張るのは不可能だろうなと思った。そんなことをするには目立ちすぎるし、あと気のせいかもしれないが、人々が僕に向けている視線に何かしら軽蔑のようなものが感じられたからだ。それは関東の方へ近づくにつれて感じていたことだった。たしかに僕の格好は無様だし、TODAYはそば屋の出前機がついたような姿だが、そこまで汚いものを見るような目で見なくてもいいのにと僕は思った。テントについてはもちろん北へ行くにつれて寒くなってきたというのが理由の一つとして大きな割合を占めていた。もうテントを張ることはないだろうなと僕は思った。それから決心した僕はネットカフェに泊まることにした。ネットカフェは二十四時間営業していて、マンガやパソコン、ちょっとしたゲームなどが揃っており、ビリヤードやダーツがついた所まである。僕は部屋の予約をし(料金は後払いなのだ)、店員に案内された。その際も店員の態度はどこか冷たく技巧的に見えた。それは僕が悪いのか地域的なものなのか僕にはわからなかった。とにかく僕は自分の部屋で一人の時間を有効に使い、その日の活動を無事に終えた。

 

七日目 静岡-神奈川

僕が起きると時刻は朝七時頃だった。九時間パックの終了時刻までは少し時間が余っていたので、僕はジュースを飲みにセルフサービスコーナーに行った。そこではさまざまな種類のさまざまなジュースがあった。僕はコップをとってボタンを押したが注ぎ口からジュースはうまく出てこなかった。うまくいかなくて僕が悪戦苦闘していると、掃除をしている店員と目が合った。店員はすぐに目をそらして「私は掃除をしているんです」といった風にじつに素早く掃除にもどった。やさしくないなと僕は思った。彼らは何かに憑りつかれた様にルールを守り、自分の課された仕事だけを遂行することに労力を使っている。僕が今まで九州やしまなみ海道で受けたようなやさしさはそこでは微塵も感じられなかった。僕はあきらめて部屋に戻り荷物をまとめてから、レジに行って支払いを済ませ外に出た。

それから僕は横浜へ向かおうとしていた。なぜなら横浜に長い付き合いの親友がいるからだ。彼は横浜の大学に通っている。僕は彼に会うのが楽しみで仕方なかった。彼は僕が鹿児島からきたことに驚くだろうし、僕の方もこれまでの旅の話をたくさんしたかったからだ。僕はTODAYに鍵を差し込んでセルを押し、エンジンをかけてから出発した。 静岡はじつに長かった。僕は国道一号線を進み、磐田を通り、静岡市を通り、富士を通り、やっと静岡を抜けたのだ。その間ずっとどこを走っていても常に富士山が見えて、僕は常にその山から監視されているような気分になった。でも静岡の国道一号線は開けた景色でとても綺麗だった。相変わらず富士山は常に見えたが、手前には平野が広がり、空の青と雲の白、草木の緑が見事な色彩を映しだしていた。場所によっては海が見えて、きれいな川にかかった橋を渡ることもあった。だから僕は静岡を抜けるのには退屈はしなかった。しばらく進んで富士に着いて僕はそこで展望台にのぼり富士山をじっくりと眺めた。近い場所で富士山を一時間半見たのでもう一生分見たと満足して下にあった売店で土産物を買った。それから沼津を抜けた。

 

七日目 静岡-神奈川

芦ノ湖が見えてくると道路標識は箱根に入ったことを知らせた。そこは高低差が大きくて僕は何度も蛇のようにくねくねとした道を進まなくてはならなかったが、街や景色の雰囲気はじつに優美だった。高い位置から湖と山の眺望が利いて一面が見晴らせた。街では箱根の温泉宿が風情のある雰囲気を醸しだし、ところどころであがった湯気が僕をあたたかくしてくれた。

それからアコーディオンの蛇腹のような道は一時間ほどで終わり、山を下りるとそこは湘南海岸だった。晴れ渡った空にシロップをこぼしたような青い海が広がり、空と海の境界線がくっきりとわかった。僕は箱根の方を振り返ってから再び前を向いて進み始めた。 道路は常に海岸沿いに続いていて自動車専用道路の区間は中の方へ入ったが、建物の合間から見える海の光景は僕をとても興奮させた。茅ヶ崎へ入ったとき僕の頭の中ではサザンオールスターズが「涙のキッス」を気持ちよく歌っていた。僕はわざわざiPodの曲をサザンオールスターズに変えて聴いた。海では冬だというのにサーファーたちが波に乗り、暑い夏の記憶を呼び覚ましてくれた。僕はコンビニに行き、オレンジジュースを買って一気飲みをした。最高だった。しばらく進むと道路は海岸から離れて興奮はどこかへいってしまったが、今度は栄えた町が姿を現してきた。

横浜へ着くとこれまでと比べものにならないような建物やビルや車や人の数に驚いた。人々はせわしなさそうに道を歩いていてその様子をぼんやりと眺めていると、僕はいろいろな種類の人間がいることに気づいた。ベビーカーを押して歩いている主婦、しわひとつないスーツを着ているサラリーマン、なにやら楽しそうに話している大学生、腕を組んで散歩している老夫婦。そして国道十六号線沿いには飲食店や銀行やスーパーやコンビニなど生活に一切困らないような店舗がずらりと並んでいた。僕は何に目を向けていいのかわからないまま大きな道路を走り、彼の待つ大学のカフェへと向かった。

 

七日目 静岡-神奈川

大学に着くと彼はすでにコーヒーを飲んで座っていた。僕は近づいて声をかけた。

「よう。久しぶりだな。」

「ほんと久しぶりだな。」と彼は立ち上がって言った。

「変わらないなお前は。」と僕は言った。「お前もな。」彼も続けた。

僕たちは小学生の頃からの親友で高校生の卒業まで一緒に学校へ通っていた。僕は十二年間の思い出話をするには時間が足りないと思ったのでこれまでの旅の話をすることにした。

「ここの人たち、というか都市圏で働いている人たちだけど、なんだかみんな冷たいな。」と僕は言った。

「そうだよ。俺もこっちへきて驚いてる。」と彼は肩をすぼめて言った。

彼はそれから一度大きく深呼吸をしてゆっくりと息を整えた。カフェ中の空気を吸い込んだ彼はそれからかわいそうな捨て猫を見るような目で僕を見て言った。「極端な言い方になるかもしれないけれど、」僕は黙って聞いていた。

「彼らにとっていちばんたいせつなのは時間やお金だよ。そのほかのものはみんな邪魔なんだ。実際的すぎるんだ。たとえば、いくつか物事があって時間が与えられているとする。物事を時間内に終わらせられるか算段を立てる。効率的に。それが一番大事なんだ。それが人の気持ちを理解することよりも上にあるんだ。全てのものが歯車として町を大きくするために動いてるんだよ。そのスピードが異常に早いんだ。そこにやさしさが必要であるわけないよ。」と彼は一息で言った。

「この前駅のホームで転んでカバンの中身をばら撒いたとき、通勤ラッシュで誰も助けてくれなかったもんな。あれは悲しかった。」と彼は言った。

「そうなんだ」と僕は言った。「でもお前は都市圏で生活している。」

「ああ、仕方ないよ。これに合わせなくちゃ。」

僕と彼の会話はそこで終わった。何かの火が鎮火したみたいに話の勢いが収まった僕らはタイミングを見計らったように同時にコーヒーを一気に飲み干した。それから飲み終わったコーヒーカップをトレイにのせて返却口まで運んでいき勘定を払って外に出た。

夜は中華街で小龍包とラーメンを食べて、帰りにコンビニでモナカアイスを買って帰った。電車は三十分ほどで最寄駅につき、それから一緒に歩いて今日泊まる彼の家まで向かった。

 

八日目 神奈川滞在

僕はもう一日彼の家で泊まった。その日彼は用事があるというので、僕は彼の用事が終わるまで家でテレビを見ていたが、おもしろくもないのでコンセントから切って音楽をかけた。Mr.Childrenの「KIND OF LOVE」と「Its a wonderful world」と「深海」と「HOME」を一周ずつ聴き、少し眠っていると、彼が帰ってきたので、もう一度僕らは中華街へ行ってラーメンを食べた。帰りにはコンビニでモナカアイスを買って、それを食べながら家に帰った。帰ると録画しておいた「ハリーポッターと炎のゴブレット」を見て、それから寝た。そんな一日だった。

次の日になると、僕は荷物をまとめてコーヒーを飲み、シャワー浴びて、彼が家を出るのと同時に出発した。彼は僕を見送ってくれた。見送りの声を背に北へ向かった。

 

九日目 神奈川-福島

僕は横浜を出発して東京に来ていた。そこは東京の中心地ともいえる千代田区のあたりで朝からこれまでに感じたことのない種類の雰囲気が街全体を覆っていた。左右に並んだ高層ビルは今にも襲いかかってきそうで、すべての建物は実際的な構造をしており、空きのない敷地にところせましと立ち並んでいた。街全体はロボットの体のように入り組んでいてその体の中に車が体内物質みたいに絶え間なく流れていた。高い建物の奥にひときわ目立って東京タワーが見え、それは東京の象徴として堂々とした風貌を構えていた。なんだか足が生えて動き出しそうだなとふと僕は思った。しかしあたりまえだがそれはぴくりとも動かなかった。周りは人工物が埋めつくされる中で皇居は緑の木を茂らせて青の水面を映しだしてその優雅な姿をいささか場違いに構えていた。とてもきれいだと僕は思ったが、周りと調和していないのがなんだかとても不思議に感じた。

人々は日本中のどの街よりも忙しそうに行き交いそれぞれの目的地へと急いでいた。走りながら腕時計を見るスーツ姿の会社員、高いヒールを履いて早歩き競争でもしているのかというくらいの速度で歩くOL、高級車の運転席で電話をしながらサンドウィッチを食べてメモを取るカジュアルスーツのビジネスマン。僕はそんな人たちを眺めていると、皇居ランをしている人でさえ何かに追われて走っているのかという気がした。僕はどこかの国の兵隊のように規則正しく歩いては止まる交差点の人々を眺めながら、親友の言葉を思い出していた。「全てのものが歯車として街を大きくするために動いてる。そのスピードが異常に早いんだ。そこにやさしさが必要であるわけないよ。」信号が青になってから全速力で走って渡る会社員を見て、そんなに急がなくてもいいのにと僕は思った。時間はたくさんあるし死ぬわけじゃないんだ。急いだっていいことはないよ、と。しかしそんな僕の思いとは裏腹に街の歯車は休みなく動いていき、決して止まることなく異常なスピードで回り続けていた。