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三日目 広島-愛媛

僕は眠ることが出来なかった。ファミレスで三時半に起こされてそれからマクドナルドに行くことになったのだ。満足いくような深い眠りはその日に一度も訪れなかった。日が昇り始めてあたりは生き返ったように色を帯び、町は一つの生命体みたいに見えた。その襞(ひだ)がたくさんある入り組んだ体の中をよそからきた病原体のように動き回っていると、興味を引くものを発見した。厳島神社のツアーポスターだ。日本三景の宮島がある場所と書いてある。僕はフェリーをさがして乗り場に行ってみた。フェリー乗り場に着いてTODAYを停めると、朝一番のフェリーがちょうど出航する時間になった。あと三分で入り口が閉まるようだったので僕は急いでそれに乗り込み、船が岸を離れてから暇つぶしに船内を回ってみた。約十分で着くようだった。この時間なにをしていようかと甲板にでたとき不意に老夫婦が声をかけてきた。

「あら、旅のお方?」

「そうです。」

「若いからげんきだねえ。」

奥さんが話しかけてきたが旦那さんは景色に興味があるようで、僕を見ていたのかその先にある風景を見ていたのかは分からない。

「私たち、息子も娘もみんな結婚したんで、旅行にきているのよ。」

聞くとどうやら写真を撮るのが好きな二人のようで、美しい風景の写真を夫婦で仲良くとってまわっているらしい。首から垂れ下がったニコンとキャノンの高級そうなカメラが船の振動でブランコみたいに揺れていた。「その瞬間をとるのが好きなのよ。ほら、そういうのってわりに少ないじゃない?」と奥さんは言った。僕は「そうですね」と言って奥さんがまた話し出すのを黙って待っていた。ゆっくりとまばたきをした奥さんは僕の目を覗き込むようにしてまた話し始めた。

「いくつもいいことがあって、たのしかったんだけど、思いだせないことがあるのよ。この年になると。うれしいとかたのしいとかは覚えているんだけど、何をしてその気持ちになったのか分からなくなるときがあるのよ。ちょうど孫の顔と名前が一致しないみたいにね。あなたってそういうのない?」

僕は考えていた。

「あなたは若いからないわね。」

僕は苦笑いした。僕にもある。

船が港に到着したのか、放送が入って旦那さんが降り口へ向かって歩き出した。

「まあ、逆もあるんだけどね。いやなこともくるしいことも忘れるからそれはそれでいいのよ。」と奥さんは捨てゼリフのように言って旦那さんのあとを追っていった。確かにいやな瞬間を写真に撮る人はそういない、と僕は思った。僕はこれまですべてのうれしいこととたのしいこと、いやなことを出来事と結び付けられるかやってみた。でもそれはたぶん不可能だった。最近起こったいやなことさえ覚えていない。鍵穴に合う鍵を探るように記憶をたぐりながら僕は宮島に降り立った。

 

三日目 広島-愛媛

伝統のある家が軒を連ねてこの島の歴史をあらわすモニュメントがいくつか並んでいた。松の木が涼しそうになびき、海からの潮風は心地よいものだった。鹿までいた。鹿?と僕は思ったが、まあ鹿ぐらいいるさ、奈良公園には約千三百頭も鹿がいるんだ。ここにいたっておかしくない。僕はなんだかこの旅で寛容になりつつあるようだ。あるいは無関心か。そんなことに考えを巡らせているうちに世界遺産のひとつである厳島神社の本宮に着いて、そこでお参りをした。この旅ではじめての世界遺産を眺めていると湧水のようにうれしさがこみあげてきた。そのような思いをたぎらせているとふと老夫婦の言葉を思い出した。僕は迷わず携帯で写真を撮ってみた。なかなかいいものだ。奥さんの表現を借りるなら孫の顔と名前が一致しそうな感覚があった。

やることもなかったので適当に街並みを歩き、名産物であるもみじ饅頭を買い、食べてから残りは鹿にあげて島を出た。本土に降りるとこちら側から眺める宮島がさみしく見えたが大丈夫な気がした。空を見あげるとどんよりと曇り始めて雲は以前より低く垂れていた。その不気味な暗みは地上にあるものすべてを嫌な気分にさせた。ひっそりとした小さな雨粒がいくつか空から風にのってゆるやかに地上に舞い降りてくるのが感じられた。雨がふってきたのだ。急がなくては。僕はTODAYにまたがりアクセルをまわした。

 

 

 

 

三日目 広島-愛媛

僕は広島市にいた。いくつも立ち並ぶ高層ビルがまるでロボットの体のようにひしめき合っている。どこかでパトカーのサイレンの音がする。誰かが交通事故を起こしたのだろう。少し進むとその違反者と警察官がいがみ合っていた。警察官は規則に従って取締りを断行しようとしているが、違反者は原因はあちらだと主張している。自分は悪くない。あっちが線を越えてきたんだ、と。こんなのばっかりだと僕は思った。どちらもあらゆる規則の上で主張をしている。法律の規則、道路の規則、自らの規則。より洗練され、知的刺激であふれた都会の生活にはやさしさなんてない。

空からは氷のようにくっきりとした冬の雨がこまごまと地表に降り注いでいた。TODAYを道脇に停めてライダースジャケットについた雨粒を払っていると、雪の最初のひとひらが僕の手の甲を打った。雪だ。吐く息は空へ吸い込まれるように白く踊り、吸う息は肺に白い空気のかたまりを残していった。冬の空気で明確な輪郭を持った広島の町は僕の心を表現しがたい不思議な哀しみで充たした。雪が降ってきたので屋根のある公園で地図を広げて道を確認していたとき、牛乳配達の車がそばに止まった。そこで地図を広げて困っている僕の顔を見ていて思わず声をかけたらしい。僕が事情を説明して行先を伝えると、配達も後回しで案内を優先してくれた。礼を言って別れたあとで、やさしさなんてない、は撤回しておこうと思った。

 

 

 

 

三日目 広島-愛媛

僕は尾道にきていた。さきほどの雪雲はまぼろしだったかのようにどこかへいき、空は深くて疑いの余地もないくらいに明るく輝いていた。その空は南国のビーチで見る青い空を僕に思わせた。晴れたのだ。見わたす限りの大洋に浮かぶ小さなボートのように僕は広大な国道二号線を海へ向かって走っていた。尾道では港町特有の潮風のにおいと、カモメの鳴き声、ボートが岸にぶつかる音がした。そういえば海沿いの町ばかり来ているなと思いを巡らせながら「それも仕方ない、太平洋側を進んでいるのだから」と結論を出してさらに東へ向かってTODAYを進めた。

TODAYがそのころ約千キロを走行していたので僕はオイル交換をした。HondaCars栗原店に立ち寄り、待ち時間にはあたたかいココアをくれた。ついでに、と言って店員さんはしまなみ海道までの道のりをプリントアウトして道順を教えてくれた。優しそうな顔をした女の人だった。この人は僕がここまでどれだけつらい思いをしているのか分かっているといった風に対応してくれた。もしかしたらこの人も一人旅に出たことがあるのかもしれないと僕は思った。旅人にはそのような勘が身につくのだ。一目見ただけでわかるときがある。

 

 

 

 

 

 

三日目 広島-愛媛

しまなみ海道の入り口に着いたとき、とうとう旅が始まった感じがした。見渡す限り大海原の入り口に立っている気がした。旅行に行く前の飛行機に乗ったあの感じと似ていた。好奇心が間欠泉のように湧き上がり、僕の体を綿のように軽くした。周りの人々も僕を称えるためにそこにいる気がして、僕はそれに応えるように橋を渡った。午後四時ごろになると夕暮れは樹木や草を淡く染めていてその到来を教えていたが、僕は海の青さしか見えていなかった。今度は嫌な予感はしない。いい予感がする。大冒険が始まる予感だ。カモメが空を舞って僕の到来を歓迎してくれていた。入り口の島である向島でガソリンを満タンに入れて、僕はこの旅で唯一南に向かって走り始めた。目指す方向の北とは逆だ。でもそんなことどうでもよかった。好奇心が僕の体を支配していた。

向島を抜けて因島に入るとき橋を渡った。その橋は、二階建て構造になっており橋の下に連結して歩行者・二輪車専用道があった。周りには素晴らしい風景が一面に広がっていて、橋の道にいるのは僕一人だけだった。一直線に続くまっすぐな道を眺めながらTODAYのハンドルを握っていると、なんだか自分が小学生の頃に戻ったような気がした。僕は誰も知らない秘密の場所にいる。誰にも僕の姿を見ることはできない。そう思うととてもワクワクした気持ちになれた。因島も抜けて生口島に行く橋を渡るとき-この橋は自動車専用道に歩行者・二輪車専用道が併設されている-瀬戸内海の大小さまざまな島に夕日が沈んでいくのが見えた。その風景を見ていると僕の心は窮屈になり、熱くなり、潮が引くように落ち着きを取り戻していった。海は寂しそうに見えたがそこに孤独のようなものは感じられなかった。

三日目 広島-愛媛

大三島を抜けて伯方島に入ったとき辺りは淡い闇に覆われてだんだんとその色を失っていった。空の色彩が繊細になっていくのを眺めていると、僕の心も静かに落ち着いていくのを感じることができた。僕は景色を見るために少し外れた高台に移動していたため、見慣れぬ道に帰りの道順がわからなくなってしまった。僕は少し焦ったが、ちょうど散歩している住民がこちらの方へ歩いてきたので遠慮もせずに道をたずねてみた。

しまなみ海道へ戻るにはどう行けばいいですか?」最初に自分が旅の者であることを説明したあと、道順をたずねることにした。その老夫婦の旦那さん-決まって老夫婦だ-は少し驚いたように奥さんと目を合せてから言った。「旅の方ですか。ご苦労様です。こんな時間に伯方島にいてくれてうれしいです。」はじめに労いの言葉をかけてくれた。道順を丁寧に教えてくれて、それから少し会話を交わした。その老夫婦は夜は毎日散歩をしていて昼間にはガーデニングの品物を販売しているということだった。その売行きはあまりよくないし、人も少ないのだということも教えてくれた。「でもね、私たちはここが好きだよ。離れたくないんだ。東京には一度行ったけど、ごちゃごちゃとしたのは私たちには合わないね。ねえ母さん。」旦那さんがそう言うと奥さんは頷いた。「この島のどこが好きなんですか?」と僕は聞いてみた。「人が助け合っているところだよ。それがいちばんだよ。」と奥さんが言うと、「ここがいちばん好きだよ。」と旦那さんはつづけた。「そうなんですね。」と僕は言った。「きみはどこから来たんだい?」と奥さんが尋ねてきたので鹿児島だとこたえると、驚いてまた二人は目を合わせた。たぶんびっくりしたときにこうする決まりなのだろう。僕は急に話しかけたことを詫びて、礼を言ってから別れた。ここがいちばん好きだよ。いったいどのくらいの人が自分のいま住んでいるところでこの言葉を言えるだろうと僕は考えてみた。そんなにいないかもしれない。それもなんだかおかしいなという気がした。そして僕はなぜ旅に出ているのか、それからしばらく考えることになった。

三日目 広島-愛媛

大島に入ってからしばらく進むと来島海峡大橋が見えてきた。その先には暗い空と海と今治の町の夜景が広がっている。今治の町の光がしまなみ海道の終わりを告げていた。その光は少し僕を寂しくさせて、なぜか急に保育園の遠足で行なった最終日の花火を思い出させた。最後の運賃を払って強風に吹かれて何度も倒れそうになりながら橋を渡りきり、後ろは振り返らずに今治市へ入った。今回は不安でも強風でも倒れなかった。それから宿を張れる場所を探そうとして公園のありそうな道へ入ったが、その前に急に僕は温泉に入りたくなってきた。どうしようもなく温泉に入りたくなった。ガソリンスタンドの店員さんに温泉の場所を聞き、ここから十分はあるよ、と言われたが、かまわないと答えてすぐにそこへ向かった。しばらく言われた道を進んで角を曲がって、温泉を見つけてそこへ入った。そして一時間ほど入って上がったあと、牛乳を飲んで畳で休憩してから再び宿を張れる場所を探した。

宿はどこがいいかと考えているうちにそういえば道の駅はどうかと店員さんが言っていたことを思い出した。さっきのガソリンスタンドで温泉までの道順の他に、明日の天気と合わせて教えてくれたのだ。他に行くあてもなかったので教えてもらった道の駅「今治湯ノ浦温泉」に宿を張ることに決めた。ここの温泉は運悪くその日はもう閉店してしまっていたのだ。僕はテントを取りだして一人で組み立てる工程を十まできちんと行なった。(1)テントを袋から取り出すにはじまって(10)杭を打ちつけるに終る、あの工程をだ。ひとつひとつ番号を数えながらきちんと順序通りに、もれなく確認して行なった。工程は(9)で終わってしまったが、コンクリートで杭を打ちつけるところがなかったのでとくに気にもとめなかった。そこまで終えると僕はひどく眠くなってきた。それは暴力的と言ってもいいくらいの激しい眠気だった。なにしろ昨日は寝ていないのだ。僕は何も考えずに寝袋に包まりタオルを枕にして寝転んだ。そのまま目を閉じ、底が見えないくらい深い眠りの中に急速に落ちていった。