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五日目 兵庫-大阪

僕がベッドに寝て、彼は通路に座椅子を敷いて寝ていた。僕は起き上がって、頭の中に漂っているちらちらとしたものを眺めながら、漠然とした意識でリビングを見渡した。すると彼が起きてきたので、今日は大阪に行くと伝えると、彼も来ると言った。大阪にいる友達に会いに行くのだそうだ。僕らはなるべく早く身支度を済まし、ドアを出て鍵をしめてから階段を下りた。彼はスズキのLets4に乗っていた。僕らはエンジンをかけて出発して、僕が先頭を走り彼が後続、というかたちになって大阪を目指した。彼と僕は行き道で迷い、レンタカーの店に寄って道をたずねた。店員は彼に向かって話しかけていたが、彼はまるで理解ができないといった顔で意味のない数字の羅列を見るように地図を見ていた。彼は方向感覚が優れていなかったのだ。僕はやったと思った。人の欠点を見つけるとなぜうれしくなるのだろう? 僕はその命題に捕らわれる前に、店員から話しかけられてはっとなって教えてくれた道順を覚えた。

神戸-大阪は驚くほど近かった。鹿児島からここまで来た僕にとっては目と鼻の先くらいに感じられた。大阪に着くとそれぞれの目的地へ向かい、僕らは別れた。どこへ向かおうと思った。僕の故郷は大阪だ。しかし同時に家に帰りたくないとも思った。家に帰ってしまうと安心感が僕を家から出さなくなるだろうという気がしたからだ。安心感がいままで蓄積してきたものを、とくべつ旅に必要で重要なものたちを、冷ますかもしれない。僕は高校時代の友達に連絡を取り、近くのイオンモールで待ち合わせることにした。

五日目 兵庫-大阪

イオンモールのサンマルクカフェに着いたとき彼は既にそこにいた。彼はじっと珍しい動物でも見るような目で僕の姿を見ていた。

「久しぶりに会ったと思えば、なんだその格好は?」と彼は驚いたように言った。

「いろいろあってね、旅に出ているんだ。」と僕は答えた。

僕は旅の経緯を話し、海のことや山のこと、島のことを彼にわかりやすくかみ砕いて伝えた。

「そんなことどうでもいいんだけどさ、」と彼は一蹴した。僕は自分の話題が飛ばされたことをいささか不満に思ったが何も言わずに彼の話の続きを待った。

「僕人生ではじめて好きな女の子ができたんだ。でもコミュニケーションが取れなくて悩んでるんだ。どうやったら会話を長く続かせられるかな。」

彼は昔からよく話を飛ばすくせがあった。僕は自分の旅の話をもっと彼に聞いてほしかったのだが、彼が真剣そうな顔で悩んでいるのを見て、一息ついてから言った。

「コミュニケーションなんて空間認知のようなものだよ。相手が話している空間を認知して、自分もそこに向けて話しかければいいんだ。簡単だよ。ほら、たとえばいま僕が『昨日の晩御飯は・・・』と話し出すと会話が成り立たないだろ。これは空間が飛んでいるんだ。いまは『コミュニケーション』の空間で話している。それで会話を長続きさせる方法だったね。それは空間どうしを繋げる練習をすればいいんだ。ここからそこへ、あそこからむこうへってね。それには興味を持って相手の話を聞かなくちゃならない。空間を共有するためにね。さっき僕がどんな旅の話してたかわかる?」

「え?なにが?」

「そういうところだよ。」と僕は言った。

彼は苦虫を噛んだような顔でひとしきりそのことに考えを巡らせてからコップに入った水を飲んで、僕を見た。

「なんとなくわかった気がするよ。」

「それはよかった。」と僕は言った。

それから僕と彼は六時になるまで彼の好きな女のことや昔の思い出話なんかを話しながら久しぶりの再会を楽しんだ。

「じゃあ僕はもういくよ。」と僕は言った。

「ありがとう。いろいろと楽しかったよ。」と彼は言った。

六時になったので僕らは席を立って別れを告げた。僕はそのまま今日泊めてくれる友達の家へ向かった。

六日目 大阪-静岡

僕は今日泊めてもらう友達の家の最寄駅へ向かっていた。僕たちは最寄駅で待ち合わせをしていたのだ。駅に着くと友達はもう待っていた。

「よう。久しぶり。」と友達は言った。

「ひさしぶりだな。」と僕は言った。この会話をするのは今日二回目だ。

「よく来たな、ここまで。」と彼は本当に驚いたような顔で言った。

「ああ、いろいろなことがあったよ、ここまで。でもまあ積もる話は家についてからゆっくりとしよう。」と僕は言った。

僕はバイクをおりてエンジンを消し、手で押して友達の家まで向かった。僕と友達は並ぶようにして道路の歩道を歩いていた。夜の大阪の空気は僕に懐かしさを感じさせていた。

「そういえば昔、おまえ自転車で大阪から清水寺まで行ったことあったよな?」と友達は言った。

「そんなこともあったな。」と僕は懐かしそうに言った。

「あれは百キロはあったよな。」と友達は聞いてきた。

「あったな。深夜0時から出て朝の九時半に着いたよ。」と僕は答えた。

「しかも二人乗りで行ったしな。」と彼は言って、一回前を向いてから僕の方を向きなおしてまた続けた。「でもなんで旅ばっかりするんだ?」

「理由なんてないよ。」と僕は言った。そして続けて言った。「僕が何かしたいことをするときはそこに理由はないんだ。体が先に動いてしまうんだ。理由があるとすればやりたいから、だよ。でも僕はそういう力を信じてる。理由のあることは納得はさせられるけど、理由のないことは共感させられる時があるだろ。理論や損得よりも共感がいちばん力を持っていると僕は思うんだ。」

「そうだな。」と彼は言った。

「理論や損得で『人を動かす』よりも、共感で『人が動く』方がずっとすごいんだ。僕はそれを信じている。」と僕は言った。それから自分が話し過ぎたことにだんだんと恥ずかしくなってきた。

「ごめん、話すぎたよ。」と僕は言った。

「いいんだ。」と彼は言った。「お前らしい。」

それから僕らは十分ほど歩き、彼の家に着いた。あたりはもう暗くなって近所の家の電気はもうほとんどが消えていた。

 

六日目 大阪-静岡

僕は昨日泊まった友達の家を出発しようとしていた。豪華できれいに装飾されたその家は、閑静な住宅街の一角に周りとは不釣り合いの風貌で堂々と立っていた。その友達は会社の経営者の息子だった。朝ご飯にはさまざまな種類のパンがお皿に盛られて、紅茶かコーヒーか―ジャスミンティーかを選べた。身なりのいい母親がリビングとキッチンを何度も往復して料理を運び、僕を客としてもてなしてくれた。ダイニングの上にはシャンデリアがかかり、リビングのソファーは高級な革製のもので、テーブルの横にはオルガンピアノが置かれていた。こんな生活が毎日続けばいいのにと僕は思った。でもここでのんびりしているわけにもいかない。僕はいつも以上に深いお辞儀をして礼を言い、友達と握手を交わしてからその家を後にした。

家を出てからいくつか道を曲がり、国道四七九号線に乗った。一直線に続く道に左右にはマンションやアパートが立ち並んでいた。大阪の朝は通勤の車でごった返していて、僕は車の間を縫うようにして進んでいた。しばらく進むと奥の方に長居公園が見えた。ゆっくりとしたスピードで公園の横まで進むと、そこには朝から犬の散歩をしている人や、ラジオ体操をしている人、ランニングをしている人たちが見られた。大阪のにぎやかな街の一角に大きな広場があり、そこは朝の運動をする人でにぎわっていた。広場にある噴水はきれいな形に水しぶきを上げ、公園の木の枝には小鳥がやってきてやがて別の枝に飛んで行った。しばらく進むと大きなスタジアムが現れた。Jリーグの「セレッソ大阪」が本拠地とするスタジアムだ。僕はそのスタジアムを眺めていると、自分がここでサッカーを習っていたことを思い出した。小学校五年生の時に友達三人で電車に乗ってここまで習いにきていたのだ。僕は懐かしくなってサッカーボールを少し蹴りたくなったが、そこにはもちろんボールはなかった。

あの時は何を考えていたのだろうと僕はふと思った。サッカーボールを追いかけることに精一杯で自分についてなんか一回も考えたことがないような気がする。あの時自分について深く内観することができていたら、もっと楽に解決できたこともあった。でも一方で何かに集中することは大事で、それをしないとある壁は乗り越えられない場合がある。そのバランスが大事なのだろうなと僕は結論を出した。

僕はコンビニに寄ってコカコーラを買い、それを一気飲みした。子供の頃によくやった遊びだ。昔はできなかったのだが、今はできるようになっていた。変わったものもあるけれど変わっていないものもちゃんとあるのだろうと僕は思った。槇原敬之の「遠く遠く」の歌詞にこんなフレーズがある。「大事なのは変わってくこと、変わらずにいること」。僕はそのフレーズを思い出しながら口笛で三回続けて吹き、エンジンをかけてコンビニを出発した。

 

六日目 大阪-静岡

それから僕は奈良へ向かおうとしていた。TODAYのエンジンはいつもより調子のいい音を吹かせてその身を軽々と前へ運んでいた。途中でガソリンスタンドがあったのでそこに入って給油をし、エネルギーを満タンにした状態で再び進み始めた。空は曇っていて雲はあたりをうっすら覆っていたが、そこまで致命的な暗さではなかった。しばらく走っていると周りのひと気はなくなっていき、寺院や神社があたりに姿を現し始めた。その奥にはくっきりとした山並みが見えた。

僕は五重塔法隆寺を通り過ぎて、太子堂薬師寺西大寺に興味をひかれながら国道二十五号線に出た。そこには管理が粗雑にされていて、砂地や草地、川の横にならんだ散歩道のような道路があった。自動車専用道路は立派な高架線を立てて新しい道路を築いたのだが、交通量がほとんどなくなってしまった旧道は放置されてしまったのだ。僕は草地を横切り、川を越え、幾つかの橋を渡った。少し進むと集落に出た。周りに人の気配はまったくなく、集落全体が死んでしまったかのように静まり返っていた。なんだここは。こんなところに人が住んでいるのかと僕は思った。もしかしたら火星人が住んでいるのかもしれない。夜に起きて、朝に寝て仕事をするのかもしれない。だからこんなに静かなのか。ここでは僕の知らない言語がつかわれているのかもしれない。そんな風に一人で意味のないことを考えながら、まったくしらない奇妙にしんとしたその風景を眺めているうちに、僕は小学生の頃に自転車で行った校区外の知らない町のことを思い出した。

兄は自転車ですごく遠いところに行ったのだと言った。往復で一時間半はかかる。すごく遠いところだよと。母親はそのことを褒めていた。よく一人で行って帰ってきたね。僕はなんだか悔しくなってその日に自転車で家の前の道をひたすらにまっすぐと進んだ。往復の時間を計算すると片道一時間も進めば兄より遠くに行ける。負けず嫌いだった僕は兄に勝つことと母親にもっと褒めてもらうことだけを考えて自転車をこぎつづけた。結局、知らない町には到着したのだが、巡回していた警察官に住所を聞かれて電話をかけられ、母親に迎えに来てもらうという結果に終わった。母親は何度も頭を下げ、謝罪の言葉をくりかえした。家に帰ると母親と父親にひどく怒られ兄に軽蔑されたことを思い出した。

でも今はちがうと僕は思った。僕は兄に勝つためでもなく母親に褒められるためでもなく、自分のために旅に出ているのだ。僕はその強い思いを大事に抱えながら再び奈良の集落を抜ける道を進み始めた。

 

六日目 大阪-静岡

僕は何のために旅に出ているのだろう。さっきのふとした思いが靴の中の小石のように僕の頭のどこかで残り続けていた。僕が旅をし始めたのは約一年前からだった。それまで大阪に住んでいて、鹿児島へきたときに大自然のすごさに圧倒されて、気がつけば旅をするのが好きになっていた。ちょうどその頃、原付が手に入ったこともあり僕の行動範囲は前と比較できないほどに広がっていた。友人がそれを聞いて自分が知っているあの場所やこの場所に行ってみないかと誘ってきたので、僕は断る理由もなくその友人とあらゆる場所に訪れ続けた。友人としては一緒に行く仲間が欲しかったし僕としては新しい場所に訪れるいい機会になったので、その関係は約六か月にも及んだ。ある日、僕は「日本縦断にいこう。」と彼に誘いかけてみた。「それは、どうだろうな、むずかしいかもしれないな。」と彼は本当に難しそうな顔をして言った。僕は行きたくて仕方がなかったのでその友人を誘い続けたのだが、とうとうその友人は折れなかった。僕は好奇心が溢れかえってどうしても行きたかった。しかし障壁がひとつそこにはあった。

いつも彼が旅の計画のすべてを立てていたのだ。宿の予約や道の確認、持ち物の準備までなにもかも彼が行なっていた。彼は完璧だった。そして僕は一人で何もできなかった。踏み出そうとしたがそう簡単に乗り越えられる壁ではなかった。僕は途方に暮れて散歩道を歩き、十分ほど歩いたあと、沿道に座り込みながら河川敷で遊ぶ小学生を眺めていた。そのときにふとこんな言葉をだれかが言っていたのを思い出した。「勇気のあるところには好奇心があって、好奇心のあるところには勇気がある。」その時いい言葉だと僕は思った。好奇心と勇気の関係性はこの言葉に集約されているかもしれない。しかし同時にまたこんな言葉も思い出した。「好奇心というものはほとんどの場合すぐに消えてしまうんだ。勇気の方がずっと長い道のりを進まなくちゃならない。好奇心というのは信用のできない調子のいい友達と同じだよ。」いやな言葉だがそのとおりだと僕は思った。いくつかの僕の経験がその言葉の妥当性を証明していた。あるいはこの言葉の方が好奇心と勇気の関係性を集約しているのかもしれない。僕はふーっと息をはき、目を閉じて茫漠とした意識の中でさまざまなちりが漂っているのを眺めていた。行くか? 行かないか? 目を開けて河川敷で遊ぶ小学生をもう一度眺めてから、僕は「調子のいい友達」に賭けてみることにした。何とかなるだろう。やってみなきゃわからないじゃないか。自分にそう言い聞かせた。

そして自分なりに努力して苦難をはねのけてここまできた。「調子のいい友達」はまだ僕を焚きつけて、前へ前へと進ませようとしている。最後までこの友達と付き合ってやろう。Mr.Childrenの「終わりなき旅」は僕の頭でリピートされていた。僕は自分の中の高い壁を乗り越えるために旅に出ているのだ。

 

六日目 大阪-静岡

奈良の奇妙な集落を抜けてから三重へ入った。国道二十五号線から国道一号線に乗り換えて亀山に入り、ずいぶんと久しぶりに町の風景が見えてきた。間に合わせで作ったようなチェーン店やファストフード店は周りの平野風景と場違いに建っていた。僕は自動販売機でオレンジジュースを買い、TODAYを停めてそれを飲んだ。オレンジには石鹸の味が混じっていた。一口飲んで少ししてから、口の中に嫌な後味が残った。最初は錯覚だと思ったのだけれど、二口目にもやはり同じ匂いがした。僕はまだあの奇妙な集落にいるのかと僕は思った。なぜ石鹸の匂いなんかがするのか、理解できなかった。僕は残ったオレンジジュースを全部捨て、ペットボトルをゴミ箱に捨てた。とくにオレンジジュースが飲みたいというわけでもないのだ。

近くの信号が青になるのを待って国道に合流した。空はまだ曇っていた。どんよりとではないが奇妙にどこかよそよそしく暗い色をした空だった。近くの車が僕に向けてクラクションを鳴らして、どいてくれ、と窓を開けて言った。僕はすいませんと言って道を開けた。それから僕は気持ちが落ち着かないときにいつもそうするように深呼吸をした。周りの空気は灰でも吸っているかのようにざらざらとしていた。しばらく進むと鈴鹿サーキットが見えてきた。そこは僕が小学生の頃に修学旅行で訪れた場所だった。たしか五年生か六年生のときだったと思う。僕らはその後信楽に行って陶器を作った。それから自動車工場の社会科見学に行って、バスに乗って帰った。何もおもしろくない修学旅行だった。僕はまた深呼吸をして、ざらざらとした灰の空気を吸い込んだ。四日市に着くと、小学校の頃に社会科の授業で四日市ぜんそくについて学んだことを思い出した。四日市コンビナートから発生した大気汚染が集団喘息障害を引き起こした公害についてのあの授業をだ。まったく、と僕は思った。あの集落を抜けてからいいニュースが思いつかないな。何かの呪いにかけられているのかもしれない。火星人が僕に最後の魔法をかけたのかもしれない。またそんな意味のないことを考えているうちに愛知に入り、僕は県境である木曽川を越えようとしていた。