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一日目 鹿児島-大分

十二月四日。僕は出発した。青空で晴れた日だった。僕はもう期待とワクワク感しかなかった。昨夜まで苦しめていた不安はどこかへ消え去っている。波打ち際にある落書きのように潮の満ち干に跡形もなく消されている。あれはどこへいったんだろう?あれはなんだったんだろう?考えてみてもわからない。

友達が見送りに来てくれていた。元気でな。生きて帰ってこい。どこかの辞書からひっぱってきたようなあたりさわりのない言葉をかけてくれた。この時の僕は<知らない遠くの町>にひとりで行こうとしていたので、友達のかけてくれた言葉が冬の朝の毛布よりも温かく感じられた。僕はそのとき、ヒートテック上下にカーゴパンツをはき、セーターとポリエステルの防水ウェアを着て、その上にジャージ上下、さらにその上にライダースジャケット、とてもファッショナブルとは程遠い服装をしていた。一人で旅をするのだから誰にみられてもいいや、という心持ちだった。終いにはサンダルだった。あの時の僕は何を考えていたのだろう。。ノンファッショナブルな服装と、期待とワクワク感、友達のかけてくれた温かい言葉、それぞれを持って、僕の旅は始まった。

僕は出発した。<知らない遠くの町>へ。僕はもう戻ってこれないかもしれない。期待と不安が汽水みたいにいりまじっている。この感情は常にセットなのだろうか?出発地を右に曲がり、信号をまた右に曲がり、大きい道路へ出るまで真っ直ぐ進んだ。よく通る見慣れた道を過ぎ、国道に出ると左に曲がり、国道二六九号線に乗った。目印となる建設中の高架線を確認してひと安心し、あとは携帯に記録していた通りの道を行った。事前に先輩に九州を抜けるまでの道を聞いていたのだ。まわりの風景も見慣れなくなったころ、僕のなかには、おそらく一人旅に出た人が共通して抱くであろう、こんな思いがあった。「あ~。とうとう来ちまったな~。」出発の興奮が解けはじめ、我にかえり始めるころ、みんなが抱くのだ。その頃から、「もうひとりの自分」があらわれ始める。話し相手が「自分」になるのだ。自分が客観的に見え始める。そういうことはわりに少ない気がする。日常ではたくさんの人と関わり、共感し同情しおごり憤怒し愛し・・・そんなもの並べてたらドミノタワーでもできそうだ。とにかく人と関わるのだ。どれが自分かわからなくなってくる。でも、旅という特殊なとき、ようやく自分と向き合いだす。