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三日目 広島-愛媛

大三島を抜けて伯方島に入ったとき辺りは淡い闇に覆われてだんだんとその色を失っていった。空の色彩が繊細になっていくのを眺めていると、僕の心も静かに落ち着いていくのを感じることができた。僕は景色を見るために少し外れた高台に移動していたため、見慣れぬ道に帰りの道順がわからなくなってしまった。僕は少し焦ったが、ちょうど散歩している住民がこちらの方へ歩いてきたので遠慮もせずに道をたずねてみた。

しまなみ海道へ戻るにはどう行けばいいですか?」最初に自分が旅の者であることを説明したあと、道順をたずねることにした。その老夫婦の旦那さん-決まって老夫婦だ-は少し驚いたように奥さんと目を合せてから言った。「旅の方ですか。ご苦労様です。こんな時間に伯方島にいてくれてうれしいです。」はじめに労いの言葉をかけてくれた。道順を丁寧に教えてくれて、それから少し会話を交わした。その老夫婦は夜は毎日散歩をしていて昼間にはガーデニングの品物を販売しているということだった。その売行きはあまりよくないし、人も少ないのだということも教えてくれた。「でもね、私たちはここが好きだよ。離れたくないんだ。東京には一度行ったけど、ごちゃごちゃとしたのは私たちには合わないね。ねえ母さん。」旦那さんがそう言うと奥さんは頷いた。「この島のどこが好きなんですか?」と僕は聞いてみた。「人が助け合っているところだよ。それがいちばんだよ。」と奥さんが言うと、「ここがいちばん好きだよ。」と旦那さんはつづけた。「そうなんですね。」と僕は言った。「きみはどこから来たんだい?」と奥さんが尋ねてきたので鹿児島だとこたえると、驚いてまた二人は目を合わせた。たぶんびっくりしたときにこうする決まりなのだろう。僕は急に話しかけたことを詫びて、礼を言ってから別れた。ここがいちばん好きだよ。いったいどのくらいの人が自分のいま住んでいるところでこの言葉を言えるだろうと僕は考えてみた。そんなにいないかもしれない。それもなんだかおかしいなという気がした。そして僕はなぜ旅に出ているのか、それからしばらく考えることになった。