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四日目 愛媛-兵庫

今治を出て少し進むと新居浜に出た。そこは四国霊場八十八か所めぐりの伊予の霊場がいくつかあるあたりだった。ついさっき通ってきた西条にも霊場がいくつかあり、僕は案内板に興味をひかれてここまで走ってきたのだ。あたりを見回すとお遍路さんの姿が何人か見受けられ、その格好は上から、藁で編んだ菅笠を頭に乗せて白衣をまとい、金剛杖を片手に持って足には足袋かスニーカーという姿だった。中には念珠をつけてしゃんしゃんと音を鳴らしながら歩いている人もいた。たしか小学校で習ったときに歩き遍路の距離は約千キロだと聞いた覚えがあった。その時の僕は千キロなんて五十メートル走を二万回走ればいいと思っていたが、今この旅を経験してその距離を考えるととんでもない長さだと理解することができた。ちょうど鹿児島から新居浜までの距離と同じくらいだ。それを歩き遍路だと五十日ほどかけてひとりでまわるのだ。僕はひとりで歩いて五十日もかけて鹿児島から四国までくることを想像してみた。でもそれは想像の範疇を越えていた。まるで公式も解らない数学の問題を解いているみたいだった。またあの恐怖や不安におそわれるのか。しかもひとりで歩いてだ。僕は迷路に迷い込んだようにわけがわからなくなった。

しかし同時にそれは僕にお遍路さんに対する尊敬の念を抱かせた。旅人として自分の中の何かを変えるために旅に出ているところは共通していて、相違点としては日本か四国かの点や費用の点にあった。しかし最大の相違点はその手段とかける日数にあった。その違いは旅に対する思いと比例しているような気がした。または自分の中の「何か」に違いがあるのだ。それは計ることのできないものだが、もし比較することができたなら、僕の方がちっぽけなものである気がした。僕は信号が赤になっている間にお遍路さんが真っ直ぐ確実に歩いている姿を眺めていた。そしてハンドルに腕を持たせかけながらその命題についてしばらく考えを巡らせていた。でも信号が青になってお遍路さんの姿が見えなくなってから、これは比べる種類のものではないという結論に至った。人それぞれの課題があり、その人によって解決方法が違うだけなのだと僕は思った。もう少し考えようとしたがもう頭が疲れていたので、何も考えずにTODAYをまっすぐ走らせた。風はさわやかに吹き、あたりに心地よさを送っていた。僕の頭はいくぶんましになり、気持ちよさと共に新たな気持ちを持つことができた。そして霊場の続く国道十一号線をまっすぐ進み、高松の方へ向けて走った。