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六日目 大阪-静岡

それから僕は奈良へ向かおうとしていた。TODAYのエンジンはいつもより調子のいい音を吹かせてその身を軽々と前へ運んでいた。途中でガソリンスタンドがあったのでそこに入って給油をし、エネルギーを満タンにした状態で再び進み始めた。空は曇っていて雲はあたりをうっすら覆っていたが、そこまで致命的な暗さではなかった。しばらく走っていると周りのひと気はなくなっていき、寺院や神社があたりに姿を現し始めた。その奥にはくっきりとした山並みが見えた。

僕は五重塔法隆寺を通り過ぎて、太子堂薬師寺西大寺に興味をひかれながら国道二十五号線に出た。そこには管理が粗雑にされていて、砂地や草地、川の横にならんだ散歩道のような道路があった。自動車専用道路は立派な高架線を立てて新しい道路を築いたのだが、交通量がほとんどなくなってしまった旧道は放置されてしまったのだ。僕は草地を横切り、川を越え、幾つかの橋を渡った。少し進むと集落に出た。周りに人の気配はまったくなく、集落全体が死んでしまったかのように静まり返っていた。なんだここは。こんなところに人が住んでいるのかと僕は思った。もしかしたら火星人が住んでいるのかもしれない。夜に起きて、朝に寝て仕事をするのかもしれない。だからこんなに静かなのか。ここでは僕の知らない言語がつかわれているのかもしれない。そんな風に一人で意味のないことを考えながら、まったくしらない奇妙にしんとしたその風景を眺めているうちに、僕は小学生の頃に自転車で行った校区外の知らない町のことを思い出した。

兄は自転車ですごく遠いところに行ったのだと言った。往復で一時間半はかかる。すごく遠いところだよと。母親はそのことを褒めていた。よく一人で行って帰ってきたね。僕はなんだか悔しくなってその日に自転車で家の前の道をひたすらにまっすぐと進んだ。往復の時間を計算すると片道一時間も進めば兄より遠くに行ける。負けず嫌いだった僕は兄に勝つことと母親にもっと褒めてもらうことだけを考えて自転車をこぎつづけた。結局、知らない町には到着したのだが、巡回していた警察官に住所を聞かれて電話をかけられ、母親に迎えに来てもらうという結果に終わった。母親は何度も頭を下げ、謝罪の言葉をくりかえした。家に帰ると母親と父親にひどく怒られ兄に軽蔑されたことを思い出した。

でも今はちがうと僕は思った。僕は兄に勝つためでもなく母親に褒められるためでもなく、自分のために旅に出ているのだ。僕はその強い思いを大事に抱えながら再び奈良の集落を抜ける道を進み始めた。