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六日目 大阪-静岡

僕は昨日泊まった友達の家を出発しようとしていた。豪華できれいに装飾されたその家は、閑静な住宅街の一角に周りとは不釣り合いの風貌で堂々と立っていた。その友達は会社の経営者の息子だった。朝ご飯にはさまざまな種類のパンがお皿に盛られて、紅茶かコーヒーか―ジャスミンティーかを選べた。身なりのいい母親がリビングとキッチンを何度も往復して料理を運び、僕を客としてもてなしてくれた。ダイニングの上にはシャンデリアがかかり、リビングのソファーは高級な革製のもので、テーブルの横にはオルガンピアノが置かれていた。こんな生活が毎日続けばいいのにと僕は思った。でもここでのんびりしているわけにもいかない。僕はいつも以上に深いお辞儀をして礼を言い、友達と握手を交わしてからその家を後にした。

家を出てからいくつか道を曲がり、国道四七九号線に乗った。一直線に続く道に左右にはマンションやアパートが立ち並んでいた。大阪の朝は通勤の車でごった返していて、僕は車の間を縫うようにして進んでいた。しばらく進むと奥の方に長居公園が見えた。ゆっくりとしたスピードで公園の横まで進むと、そこには朝から犬の散歩をしている人や、ラジオ体操をしている人、ランニングをしている人たちが見られた。大阪のにぎやかな街の一角に大きな広場があり、そこは朝の運動をする人でにぎわっていた。広場にある噴水はきれいな形に水しぶきを上げ、公園の木の枝には小鳥がやってきてやがて別の枝に飛んで行った。しばらく進むと大きなスタジアムが現れた。Jリーグの「セレッソ大阪」が本拠地とするスタジアムだ。僕はそのスタジアムを眺めていると、自分がここでサッカーを習っていたことを思い出した。小学校五年生の時に友達三人で電車に乗ってここまで習いにきていたのだ。僕は懐かしくなってサッカーボールを少し蹴りたくなったが、そこにはもちろんボールはなかった。

あの時は何を考えていたのだろうと僕はふと思った。サッカーボールを追いかけることに精一杯で自分についてなんか一回も考えたことがないような気がする。あの時自分について深く内観することができていたら、もっと楽に解決できたこともあった。でも一方で何かに集中することは大事で、それをしないとある壁は乗り越えられない場合がある。そのバランスが大事なのだろうなと僕は結論を出した。

僕はコンビニに寄ってコカコーラを買い、それを一気飲みした。子供の頃によくやった遊びだ。昔はできなかったのだが、今はできるようになっていた。変わったものもあるけれど変わっていないものもちゃんとあるのだろうと僕は思った。槇原敬之の「遠く遠く」の歌詞にこんなフレーズがある。「大事なのは変わってくこと、変わらずにいること」。僕はそのフレーズを思い出しながら口笛で三回続けて吹き、エンジンをかけてコンビニを出発した。